1日雑記

2004年10月02日(土)


我々人類は疑問と隣り合わせに生きてきた。
好奇心は進化を促し
疑問は人の文化を育む要因となった。

子供を見れば、好奇心により知識をつけ
自立という階段を一歩一歩登っていく。
やがて一人の成人とし生きてき、そして親となる。

彼らの知識の源は環境であり
環境を形勢している物について疑問を持つのは当然なのだ。
それが生きるという事なのだから。

例えばいたずらも興味・関心の一環である。
このような行動がどのような結果をもたらすのか。
その予測と結果を知ることで成長につながる。
いけないことならば怒られるので
それがしてはいけないと気づく。

そういう意味で、最近の国の状況の悪化、
例えば治安やモラルといったものであるが
それらは『怒る』事のできない親に起因しているといっても
過言ではないのではないだろうか?
子供には親が必要である。
にもかかわらず、近代では親と子供の時間を減らすことが
価値とされているようにすら思えるのだ。
例えば塾といった事。
あるいは、男女雇用機会均等により
男親、女親に限らず仕事に出るようになった事。

もちろん、女性は育児をするべきだと言っているのではない。
女性が働くならば男性が育児をするべきだと言っているのだ。
男女が平等であるという前提ばかりを前に出し
『親である』という前提を
ないがしろにしているのではないか、といっているのだ。

男女が平等であり、仕事をすることが認められる以前に
彼らは親であることを忘れてはならないのだ。

話がずれた。
つまり人は疑問を常に懐(いだ)き続ける事は必然であり
そしてまた一つ、私は疑問を持ったのだ。
うな重とうな丼は何が違うのか?

……はい、ごめんなさい。
前フリは冗談でこれが言いたかった。
重のほうがウナギが多いとか
ウナギの質がいいとか。
そういう事がほとんどらしいのですが
私にしてみればウナギはともかく
たらふく食べられる丼がすきかなぁ、とか。
重ってご飯すくなくないですか?

牛丼に始まり、丼のほうが庶民っぽいし。
もっとも、丼自体には蒸らしという効果があることを考えると
ウナギにあえて丼を用いる理由があるのか
もう一度問い直すことが―――
って、これも冗談ですが。


とりあえず今は美味しいラーメンが食べたい。
味噌。
……なんか安上がりな私。


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