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■ 北野武のカッコよさ
深夜3時にトロントに到着。 風邪の具合も悪かったんで 寝ながら帰ろうと思ったけど 結局、カズと喋りっぱなしで ほとんどノン・ストップで車を走らせた。 家に着いてすぐ撃沈。
昼頃起きたら、体中の間接が痛い。 とりあえずシャワー浴びて パンでも食べようと思ったけど 食欲全然なし。 また横になって 【座頭市】を観る。 今更だけど、たけしカッコいい。 北野武と ビートたけし 同一人物だけど別人。 94年の大事故で一回死んで あの人の中で絶対何かが変わったよね。
お笑いの対極にあるのが哀しみだとしたら やっぱりあの人の漫才やコントの中に あった「哀しみ」の部分が 映画によって表に出てくるように なったもんね。 本人は絶対認めないかもしれないけど。 でも、お笑いって すごい悲しい題材を扱ってたりするじゃん。 第三者が見ると大笑いなんだけど 本人はすごく真剣に悩んでいるような。 例えば、 借金取りのヤクザが、玄関のドアをガンガン蹴ってる。 もう必死で押入れに隠れる。 それじゃ見つかると思って ベランダから飛び降りようとする。 でも、そんな勇気もなくて ドアが開いた瞬間 ベランダで観葉植物の真似をする。 傍観者から見たら大笑いなんだけど 本人は本当に殺されると思っているから 真剣だよね。 それを笑っちゃうんだけど そんな残酷な社会に俺らは生きてるって感じするもんな。
だから笑いと哀しみなんて 紙一重で、振り子みたいに揺れてる 関係だと思う。 監督・北野武だと、その哀しみの部分が グッと前に出てきちゃうんだろうな。
たけしさんて絵も描くんだよね。 前に何かのインタビューで 「オイラは、ゴッホに憧れてるピカソだ」 って言ってたのを思い出した。 ピカソは天才で 絵の技術も理論も何もかも知りつくした男。 方や、ゴッホは 情熱赴くままに絵を描き続け、 無名のまま死んでいった。 今では、ゴッホもピカソも「天才」だけど 生きている間に天才と呼ばれたピカソと、 そうでないゴッホはやっぱり違う。
たけしさんがゴッホに憧れるのは 自分が何者か分からないが故に生ずる 純粋な制作への欲求だろう。
たけしさんは、自分の作品を待つ あらゆる観客や観衆や聴衆や支配者から逃げられない。 それがどんなものであろうと 人々は北野武が生み出すものを 見逃すまいと待ち構えている。 「ゴッホに憧れてるピカソだ」と言いつつも たけしさんは、とっくに覚悟を決めている。 「オイラはピカソだからしょうがない」とでも言うように。 そこが堪らなくカッコいいのだ。
2004年06月06日(日)
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