-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 マラソンとアート

彼女と友達と3人でジョギングをした。Queensquay辺りからツイン・タワーまでオンタリオ湖畔に沿って、片道10Kmくらいのコース。俺は運動靴というものを持っていないので(笑)借りて走った。

日曜日のカーロス道場に行くたび、自分のスタミナ不足を感じるだけに、せっかくの機会なんでタバコも持たずに参加(あたりまえか?)。

走るという行為は、決して楽しくない。だってずーっと「そろそろ歩きたい」という自分との戦いなんだもん。誰にも強制されてない、しかも完走しても何の得もないのにひたすら我慢する。何でそこまでして走るんだろう?何で歩くのを躊躇うんだろう?

これは人生そのものに通じる何かがあるな・・・。と考えながら走れたのは最初の20分だけ。後は頭真っ白で、ただ足を前に出すことしか考えられなかった。はははっ!

ただ、「走る」という連続行為にアートを感じたのは確か。大げさだけれども、大会やゴールを目指して走るのでなく、ただ走っているその瞬間。走っている間だけが美しい。きっと、ゴールとか記録とかタイムとか賞金とかが、走った先にあるのはアートとは違ってきちゃうけど、足を前に出すという行為が無限に続けばそれは立派なアートと呼べるかもしれないな。ふと、そんな事を考えた。

それは、ただ連続する行為が続けばアートと呼べると言うんじゃなくて、例えばピンクが好きな人がいて、服もアクセサリーも髪もピンクで、ピンクの家に住み、ピンクの車に乗り、結婚式も葬式もピンクの服しか着ないという人がいたら、明らかに尋常を超えてるという意味ではアートとして認めても良いんじゃないか?と思う。

マラソンでも【ランナーズ・ハイ】という、連続性による一種の快感がある。他にも連続による心地よさというのは、誰しも経験があるんじゃないかな?その連続が、尋常じゃないレベルに達したときに「狂ってる」とか「奇人・変人」をという一線を超えて、アートと呼ぶしかなくなるんじゃないか?草間ヤヨイさんなんて正にそうだけど。


2003年06月10日(火)
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