今日は午前11時前に目が醒めた。 そこから二度寝してしまい、最終的に今日は午後12時前に目が醒めた。 メッセの子を介して、俺には様々な情報が入ってくる。 メッセの子の存在は、俺にとって、その子達の近況を俺に伝える目であり、耳であり、口であり。そんな感覚があると思う。 そのメッセの子が、E君が受けた行為を知ってしまった。 「兄ちゃんがやられた事がまじ最悪で・・・・・・」 何だか、擬似的に俺までそれを知ってしまったような感覚になっているのかもしれないな。 俺が今感じているこの恐怖感は、自分の半身が既にその行為内容を知ってしまった、という事に対するショックが大部分を占めているのかもしれない。 現在午後13時00分ジャスト。
今日の授業は2時限目から5時限目まで。 俺は3時限目の授業時間に学校に到着し、空き教室で弁当を食べた。 弁当を食べているうちに、3時限目の授業時間が終わってしまった。 弁当を食べ終えた俺は、4時限目の教室に向かう。 しかし、その教室は空っぽだ。 先週で、授業が終わってしまったのかもしれないな。 俺は学食に行き、そこでコーヒーを飲みながらテスト勉強をした。 勉強中も、ずっとE君の事が意識されてて沈んでた。 殆ど勉強に集中する事が出来なかった。 5時限目の時間になったので、俺は教室に向かう。 5時限目の授業は「フランス語」 今日はテストだ。 殆ど解答する事が出来なかった。 多分、再テストを受けなければならないだろう。 テストが終わり、残りの時間で授業みたいな事が行われた。 その間、またE君の事が意識され、俺はずっと沈んでた。 授業が終わり、家に帰った。 今日、学校で考えていた事を少し書く。 タイプの男の子は特殊な特殊な存在だから、他の人間達と同じような条件で生活させるべきじゃない。 例えば、公の場で俺がそんな事を主張する。 そしたら、他の人間達は俺の事を「まともじゃない」と言うだろう。 しかし、現にそういうタイプの少年は、信じられないような目に遭わされ続けている。そういう現実を示して見せても、やはり他の奴らは俺の事を「まともじゃない」と言うのだろう。 タイプの少年がどれだけ特殊な存在で、当然のように信じられない目に遭わされ続ける事を知っても、「障害者でもないんだから」とか「病人でも怪我人でもないんだから」と、目に見える分かりやすい形で特殊性が現れていない限り、どれだけそういう子達が被害に遭わされるのが現実であっても、「特殊な存在だから一般的な生活を免除する」とはしてもらえない。 「目に見える特殊性」とは言っても、その子達の容姿は凄く特殊だ。 しかし、容姿に関する特殊性については完全にスルーされてしまうだろう。 飢えた豚を放った小屋に、可愛い子猫を放り込んでいるような状態だ。 それが現状。 タイプの少年達は、その豚小屋の中で自覚もなしに、その他の豚共と同じような生活に適用しようと頑張っている。 しかし、豚から見たらタイプの少年達は特殊に見えて、自分自身をその他の豚と同じ存在だと思い込んでる少年は、訳も解らずその豚共の餌食になって。 誰が見てもその子達が異質である事は明らかなのに、公的にはその子達が異質である事を認めない。 本当は、誰もがその子達が異質である事を知ってる癖に。 知っているから、様々な奴らがそういう子達を襲いに来るのだ。 E君をやった奴らは、自分達が被害に遭わせる男の子がどれだけ特殊で綺麗な存在だったとしても、社会的、世間的に『一成人男性』としてしかカウントされない事を知っているのだろう。 だから、歯止めも無しに好き放題に・・・ 多分、こいつらは過去に人を殺した事があるのだろう。 そこら辺に居るような、どうでもいいような人間を、何かの弾みで特に拷問をするでもなく、苦しめるでもなくあっさり殺す。 C君の死を都合が良い事として利用して、E君が「殺してくれ」と懇願するまで追い込み続ける。懇願しても追い込み続ける。 行為を受けたE君が、その後自殺に走ってしまう可能性だって感じたはずだ。 しかし、そいつらは「それでも全然構わない」という姿勢でもって、E君への陵辱行為をそのまま続ける。 過去に人を殺した経験から、これだけの綺麗な存在を死ぬより酷い目に遭わせる事に抵抗が無い、とか。 「どうでもいいような人間を苦しめる事なくあっさり殺す」 「死ぬほど綺麗な存在を、同じく死ぬほど綺麗なその子の弟の『死』を利用しながら、死なせてくれと懇願するほど追い詰める。しかし、自分達はその存在を殺さない」 どうでもいいような人間の死と、綺麗な存在が味わう地獄を等価に考えているようにしか思えない。 まして、殺す訳ではないのだからアシは付かない、と。 「所詮『一成人男性』としてしかカウントされない」、という事を逆手に取って。 こういう風に考えてみると、俺はこいつらがどこかで人間を殺してるとしか思えない。そして、それはタイプの少年ではなくどうでもいいような人間で。 タイプの男の子がここまで酷い目に遭わされている現実を知った俺は、どういう精神状態にならなければならないのだろう。 俺が今味わっているショックや苦痛には『前例』というものが殆ど無い。 『前例』が無いから、『こういう場合はこういった精神状態になるべきだ』という意識を示す『前例』もなく。 一般的に『前例』が示されている悲劇というのは、 「家族の死」「恋人の死」「友人の死」「事故による後遺症」 また、「彼女がレイプされた」「女友達がレイプされた」等。 テレビ、漫画、映画、小説といったメディアでは、これらの出来事を目の当たりにした人間達がどういった精神状態に陥るか、といった『前例』ならば、今まで腐るほど示し続けてきたはずだ。 しかし、俺みたいに「タイプの男の子がそういう奴らにやられて苦しい」という事に対しては、そういった『前例』を示すものが殆どない。 『前例』が無い出来事を目の当たりにした人間が陥る精神状態の『前例』、が無い以上、その人間はそれを『苦しみ』と捉えるべきではない。 『悲しみ』や『ショック』と捉えるべきでもない。 ましてや、それをした人間達に『憎しみ』を抱くだなんて事は認められない。 何故なら、それらに対する感情には『前例』が無いから。 「タイプの男の子がそういう目に遭わされる」という事を、単なる『出来事』としてしか捉える事を許さない。 「顔に蚊が止まった」とか「道端でハンカチを拾った」みたいな事と等価の『出来事』 ただの『出来事』でしかないはずだ、と。 世のショタコン共がそういった『通念』を逆手に取って、遠まわしながらもそれを押し広めようとしている様を、俺は何度も目にしたはずだ。 そういう『通念』が『常識だ』とされてる事は、タイプの少年達を被害に遭わせるショタコン共にとってはこの上も無く都合が良いから。 そして、ショタコン共の間だけに留まらず、社会的にもそんな『通念』があると思う。 一般的でない物事に対しては、苦しむ事さえ認めない、と。 俺がこれらの出来事に対して苦しみを示せば、たちまち『異常者』のレッテルが張られてしまうのも自明の理。 所詮、感情や精神の世界だって、公の場では制度化されたものしか認められない。 俺が中学時代から6.7年間、一日も欠かす事なく頭に浮かべ続ける程執着していた××君(俺が中学時代に好きだった男の子の名前)。 その××君の親戚で、俺にとって殆ど××君の分身だとまで言えるような存在であるE君。 そのE君が、汚い奴らに3日間に渡って陵辱されたという事に対して、俺はどういった精神状態であるべきなんだ? 結局、「ごく当たり前の事。ただの『出来事』として捉えてなさい」って事にされ、今回の出来事に対してそれ以上のショックを持つ事さえ社会的には許されないんだろうな。 まじ一体何なんだよ・・・ そんな事を考え続けた。 現在午後20時29分。
3日間も監禁されてやられてたんだ。 どんな事をされていてもおかしくない・・・・・・・・
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