リュカの日記

2006年06月16日(金)

今日は午前11時頃に目が醒めた。
しばらくしてから学校に向かった。
昼休みが終わった直後くらいに学校に到着し、学食でランチを食べた。
その後、途中から3時限目が行われている教室に入り、「西洋史特講」の授業を受講した。
授業が終わり、教室を出て行こうとした時、俺の後ろに座っている生徒の姿を見て、それが自分がよく知っている人間であるという事に気が付いた。
今年になってからは授業が多くてあまり行く気にはなれなかったけれど、去年まで、俺はよく図書館でビデオを見ていた。
その時、いつも午後18時あたりで「閉館だから」と、俺の映画鑑賞を打ち切らせていた図書委員?が、俺の後ろで受講していたのだ。
俺は、その図書委員は学校側のスタッフか院生だと思ってきたけど、俺の後ろで授業を受けていたという事は、正規の大学生徒なのだろうか。
4時限目は「東洋美術史」
3時限目後の休み時間から、俺は食堂でボーっとしていたので、この授業にも途中から出席した。
授業が終わり、教室を出る際、俺の前を小柄で童顔の男の子が横切った。
顔だけ見ると、本当に中学生くらいに見える。美少年顔というよりはガキ顔なのだが、清潔感があって可愛らしい感じだと思う。
シャギーヘアをツンツンに尖らせ、頭を汚い茶色に染めていて、何だかどぎついヘアスタイルをしているのが、少し勿体無く感じてしまう。
周囲の下らない文化や流行に染まってしまってる、というか。
その男の子にも、俺は見覚えがあった。
俺が激欝だった頃。
あの子に「自分もそういう目に遭わされている」と聞かされて、何もかもがきつくてきつくて沈み込んでいた時期だ。
「苦しみが麻痺してきた」と感じ始めた時期でさえ、今の俺から見たらきつい時代だったので、それが、俺が大学2回生の頃だったか3回生の頃だったかは定かではないけれど、コンピューター関係の授業を受けていた。コンピューターは使わずに、普通の教室でコンピューターの歴史のようなものを教える授業。
俺はその授業を受けながらも、何もかも認めたくなくて、授業も殆ど放棄していた。歴史と名の付く何もかもを否定していた。何かを学ぶ、という事自体をも。
そんな時、その授業の教室で、小さくて可愛らしい男の子がノートを取っている姿を見かけた。それが、今日見かけた男の子だ。
その頃は、まだ髪の色も今ほどきつい感じではなく、頭もあれほどツンツンには固めていなかった。見た感じ、中1くらいに見えたと思う。
多分、当時は1回生だったのだろう。
タイプの男の子が、俺が全否定している授業というものを受けている。
でも、こういう子はそういう目に遭わされる。
なのに、この子は授業を受けるという事で、そんな社会を受け入れているのか。認めたくない。
みたいな事を感じてて、目の前に見えるその子の姿を否定していた。
それを、俺は強く記憶していた。
今では大学3回生か4回生くらいだろう。
その子の容姿は、今も変わらずまだまだ幼い。
授業が終わり、家に帰った。
まだ、両親は家には帰っていなかった。良かった。

今朝見た夢は少し印象的だったので(最近では、睡眠中に夢を見る事自体滅多に無くなってしまったので)、メモっておく。
俺は自分が読んでいる小説に出てくる「アルマン」というヴァンパイアになっていた。愛らしい少年の姿をした500歳のヴァンパイアで、俺がこのシリーズの中では一番好きなキャラクターだ。
辺りは夜だ。
どこかの家の中に居るみたいなのだが、電気も付けない。
天窓からは、月の光が差し込んでいた。
今現在の自分であるアルマンには、両親が居るらしかった。
両親が帰ってくるのを待っていたのかもしれない。
家の中に、犬が居た。犬の名前は「モージョー」だ。
でも、この犬は命を持った自然の犬ではない。
見た目は犬そのものだけど、ロボットなのだ。
俺がこの犬に近づいていくと、犬はとても懐いてくれた。
俺はそれが嬉しくて、撫でたりさすったりしながら、これをとても可愛がった。現実じゃ考えられない感覚だけど。俺が動物を可愛く感じたり、ましてや可愛がるなんて事は今まで無かった。
犬を抱きしめ撫でてるうちに、犬の喉元辺りに2つのスイッチが付いている事に気が付いた。
一つは凹んでいたけれど、もう一つは突き出している。
突き出している方のスイッチを押してみる。
すると、犬の鳴き声が子供の声に入れ替わった。
スイッチを押す事で、犬の言葉を人語と犬語に切り替える事が出来るらしい。犬は、子供の声で関西弁を喋っていた。
大阪みたいなコテコテの関西弁ではなく、兵庫県の子供が使うような柔らかい感じの関西弁だ。
しばらく、家の中でその犬と色々な事を喋ったと思う。
別の場面、その家に通じた地下通路みたいな場所を、犬と共に進んでた。
何者かは覚えてないけど、自分を追ってくる集団が居るらしい。
犬も一緒に逃げてくれるのか、と、それに安心感を覚えてた。
そんな夢だ。
俺が読んだ小説では、レスタトという名前のヴァンパイアが、自分の肉体を奪われ人間として生きなければならなくなり、その苦難の際、偶然出会った「モージョー」という名前の犬を連れて一緒に行動するのだが、それが脚色されたような夢だった。
目が醒めてから、「犬を飼う」という事について考えてみた。
夢の中で感じたように、自分を和ませてくれるだろうか、と。
犬は数年で死んでしまう。長くても20年は生きるだろうけど、自分の人生の途中で先に死んでしまう。
また、自分が先に死んでしまった場合。
鍵を掛けた家の中に閉じ込められたままになってしまうその犬は、誰にもその存在を知られず、誰にも引き取られる事なく、そのまま餓死してしまうだろう。
やっぱり動物を飼うなんてありえないな、なんて事をしばらく浮かべた後で、学校に行くため家を出た。

両親が帰ってきた。
俺はアメリカ土産にグミを買ってくるよう頼んでいた。
母親が、ちゃんと買ってきてくれていた。俺が頼んだものとは、少し違うグミだったけど。
それとは別に、俺の従姉妹が俺のために自腹で色々お菓子を買ってくれたそうだ。ビニール袋一杯に、グミやキャンディーが詰まってて、それが何だか嬉しかった。俺よりずっと年下なのに。因みに、弟の分は無かった。
俺が15歳の頃、向こうにホームステイして、その時まだ子供だった従姉妹達と色々遊んであげたりしたからかな。
俺が親戚の集まりに参加した時、弟は従兄弟達とよく話すけど、俺はただその場に居るだけ、という状態になる事が多いのに、去年あたりアメリカの従兄弟達が日本に来た時は、弟よりも俺の方に懐いてくれるような感じだった。この従兄弟達も、向こうに移住するより前は、どちらかというと弟の方に懐いていたような感じだった気がするけど。
俺は誰からも差別される事が殆どなのに、今回贔屓してもらったような感じで、それが新鮮で少し微笑ましいような気持ちになった。
従姉妹が詰めてくれたビニール袋の中に、キャンディーが2つ入ってた。
そのキャンディーには、ムカデのような蟲(恐らく本物)が詰められていて、それに少し引いてしまった。
日本でも、10年以上前に女子高生達の間で「蟲キャンディー」みたいなものが流行っていた事を覚えてる。俺がまだ小学生だった頃だけど。神戸の東急ハンズでも売られていた。
俺は蟲が嫌いだ。触るどころか、見るだけでも鳥肌が立ちそうになるくらいに蟲が嫌いだ。
グロテスクでおぞましくて気持ち悪くて。恐怖感すら持っている。
それを口に含んで味わって飲み込むだなんて考えられない。
でも、せっかく年下の従姉妹が自分でお金を出してプレゼントしてくれたんだから、やっぱり覚悟を決めて食べないと勿体無いな・・
グミを少しだけ食べた。
美味しい。


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