リュカの日記

2005年11月01日(火)

何か、幾何学的な法則を考えているような感じの夢を見た。
何かの条件を求めていたのか。多分、普段意識するような価値観には関係ない。
午前1時半頃に目が覚めた。
もう、今月で23歳か。
いつも寝起きはモヤモヤする。
無意識に色々な事に対する不快感がつのるのか。
とりあえず、コーヒーでも飲もう。

うすーい感じで色々な事を考えていて、だんだんイライラが募ってきた。
考えている内容もそうだし、考え出す度に意識を散らされるストレスもあり。息苦しい。

そうだな。
あの頃の自分にとっては、もしもそういう目に合われてなくて、タイプの子にあんなにまで想ってもらえる、となっていたら死んでも良いくらい嬉しい事だったに違いない。

今日の授業は2と3だった。
2時限目のデータベース論は、何故か俺の持ってる教科書と授業で使う教科書が違っているのでよく分からない。
調べて買い換えるのもおっくうなので、未だにそのまままともに授業を受けられないでいる。
3時限目の美学美術史特講では、スクリーンで色々な芸術風景を映し出していた。面白い形や構造の建物、屋外に設置しその「場」の自然と溶け込ませて作られた特殊な形。
どれを観てても、興味深くて面白くて清々しいような気持ちになる。
子供の頃の俺だったら、そういう形に惹かれてワクワクと楽しく感じ、それに触れたいと望む類のものだと思う。
でも、それを良い物だと思って良いのだろうか。
心を惹くような形や自然的な情景は、確かに見た目的には綺麗だったり和んだりするかもしれないけど、決して良い物ではありえない。
よく、穏やかな情景や自然的な物質を「優しい景色」という言葉で表現したりする。子供が慣れ親しむ身近な物だからかな。
でも、そういう子が酷い目に合わされている時、それらのものは何も助けになっていない。森も林も月も空も太陽も、ただ少年が陵辱されていく様を黙って傍観しているだけだ。
そういう子の視点からしたら、普段慣れ親しんでいる身近なものが、何も自分を助けてくれない、と返って脅威に感じたりするんじゃないのか。
少なくとも、過去に俺は自分が殺されると思った時は周りの物にも脅威を感じた。
それを、よりにもよってそういう少年が陵辱されようとしている時さえも助けないなんて許せない。
結局、何にも助けられずにされるがままだ。
そんなものを良い物だなんて思って良い訳がないじゃないか。
どんなに穏やかな情景だろうが、決してそれらが優しいだなんて事は在りはしない。そんな事を考えていた。
結局、俺はそれらを良い物として認める訳にはいかないのだ。
3時限目が終わり図書館に行った。
「ラストサムライ」を最後まで観た。
面白かった。やっぱり字幕の方が良いと思う。
家に帰ってきた。
学校に居る間、欲求なのかストレスなのか、耐えられないようなムズムズ感というかイライラ感というか、思いっきり枕を抱きしめ歯を食いしばりたいような衝動が続いた。
いつでも吐き出せる、欲求処理出来る、という安心?がないと重圧なのか。
現在午後18時1分。
午前1時半から起きている。
昨日よりはマシだけど、とても眠い。
ついでに。
家に帰ってきてからコーヒーの用意をし、いざ考えをまとめてみようとしたところ、その刹那に母親が買い物から帰ってきて騒がしくなった。
いつもこのタイミングだな。
100パーセントこのタイミングで散らされる事なんて、俺にとっては全然珍しい事じゃない。必ず、だから当たり前だけど。
昨日読んだデスノートで、テル(苗字は胸糞悪いので使いたくない)が相手の死を願い、そのうちの9人が死んだ。
それを「自分が願ったから死んだのだ」とするのは、一般的には「思い込み」でキチガイ判定が下るだろう。
もし、「こんな奴死ねば良い」と思った相手が必ず死んだとする。
それで100人死んだらどうだろう。
それでも、社会的には「思い込みの激しいキチガイ」
いくら必ずそうなるといっても、科学で証明されないからな。
1000人死んでも「思い込み」

またKinki Kidsの「ひとりぼっちのクリスマス」の着うたを聴いている。
Jrの声が本当に可愛い。
ずっと、そういう子は汚れのない存在なんだ、と感じ続けて居たかった。
本当に聖人みたいな声なのに。
今は、その綺麗な声を聴いても複雑な気持ちにしかなれない。


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リュカ

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