リュカの日記

2005年02月22日(火)

今日は午前8時前に目が覚めた。
少年が汚される事がどういう度合いで嫌なのか、ハッキリつかめないようでモヤモヤする。
"前ほど"とはかけ離れている。

午後6時前。
昨日ジョジョの第四部を読み終わったので、少し前に読んだばかりの第五部をもう一度読み始めた。
MXでシリーズを集め始めた頃に一番最初に読んだのが第五部なのだ。
しばらくして、こんな風に気分を紛らわせたりしてていいのだろうかと思えてきた。
どれだけ酷い事なのか強く実感出来なくなったままに、無意味に時間を送っていく事への後ろめたさで、だんだんキツくなっていく。
ただ実感出来ない事が重要じゃなく、以前は実感していたのに、今それが感じられなくなっている事に抵抗がある。喪失感というのだろうか。
多分、俺は自覚したり実感したりする事をどこかで避けようとしているのだ。

欝の頃、一時的に楽になっても「次の日にはまたぶり返している」という意識があった。抜け出せない、終わらない、逃げ道がない。
意識を逸らしたところで一時しのぎにしかならず、結局何も解決なんてできないのだ、というプレッシャーだ。
いつまでこのウネウネ感が続けばいいのだろうとか、解決するのは無理なんだとか、だったら一生この苦しいのが続くのだろう耐えられない、とか。
出口が見えない。
午後8時半前。
今、少しだけその時の感覚になっている。
昨日も同じくらいの時刻にそんな感じになった。
時間帯が関係してたりするのだろうか。
寝起きと夕暮れ時(又は過ぎ)が苦しい時間だ。
心の中に割れ目が入り、切り口からズズズズズ…とズレていった状態で固定されてしまっているような、そんな感覚になる。
不安感、焦燥感、喪失感、で不快感だ。
苦しいおかげか、罪悪感は感じずに済んでいる。
前は苦しい時間が殆どで、何も感じずに済んでいる時間の方が稀だったのに、今は全然違っている。

少年が無事でいても、それは当たり前の事であるべきなので、別にそれ自体は俺にとっての喜びにはならない。
逆に、そういう事実を目の当たりにした瞬間、意識を逸らさずにはいられないような絶望になる。
俺が何に対してどういう風に思おうと、ハッキリ言って誰も何も気にしない。ショタコン野郎は、俺にいくら憎まれようが何も感じず、開き直ってふんぞり返って見せるだけだ。少年は、俺がいくらそういう現実を嘆こうが客観的に考えればウザイとしか思われない。
以前持ってた感覚も、もう薄い。
でも、そんな事は関係ない。
以前持ってた考えは俺にとっての絶対なので、誰にも影響ないからとか、意識が伴わないからといって考えるのを辞める理由にはならない。
俺がその現実を認めないのも、ショタコン野郎を憎もうとするのも、少年に対する道徳心に寄りかかるのも、以前のように苦しもうと思うのも、もう単なる意地なのだろう。
でも、それが間違っているとは思わないので、出来るだけ今まで通り考えていく。
今までの人生の中、自分にとって絶対的に正しいと実感した唯一のものでもあったのだ。
表現違いかもしれないが、"自分に対して筋を通す"だ。
実感が伴わなくなっても、考える事で意識をそれに近づけていく。
(言い換えれば、『そうしなければならない』といったプレッシャー)
でも、価値観持ってた頃と比べると趣旨がズレてきている事には気づいている。
単なる意地になりつつある事が許せない。
今の心情から、許すべきでない、が正確か。


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リュカ

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