リュカの日記

2004年12月12日(日)

色々な条件だけを頭にグルグルさせていては好きになれない→ある程度不謹慎に大雑把になる事で、考える事なく好きになれる→内面を不謹慎にする代わりに言動を制限するため自分自身にペナルティーを作る。ある程度自分を納得させるために、戒める。欲求が浮かぶ分、実際の行動としては求めない。求めない、得られない、満たせない→距離感が出て、絶対的にまで思えるようになった。(そんな少年からしたら眼中にもないという意識があり、自分自身の内面は不謹慎であり続けたのかもしれない)
「どういう感じでタイプの子を好きになっていたのか」の、発端理由はこんな感じだったのかもしれない、と少し別の角度から考えてみた。
何面もありすぎて、まだ自分でも把握しきれていない、無意識に追いやった意識も沢山あるんだろうな。
ある程度、強く価値観として根付いていた考えがあるから、今更不謹慎な感じで求めるのは納得しないし、不謹慎な感じでタイプの子に接しようとする奴がいたら許さないだろうな、とは思うけど。(タイプの子を求める奴を許さなかったのは昔からか。自分の意識どうこうは関係なかった)
ペナルティーを増やして、自分で納得できない部分を増やしていったところもあると思う。それ以前の昔の自分なら喜ぶ事が出来た事も、今の自分は喜ばない。色々と条件が出来ていった→その条件内で叶う事だけが喜び。
条件内に入るものしか喜んではいけない代わり、その条件内に入るような事があれば、信じられないくらいの喜びが感じられる。とか。
今自己分析してみた事も、実際に内面のある部分に存在した、かなり的を得ている答えだと思う。
今日は午前11時前に目が覚めた。

やっぱり、どういう理由で少年を求めるにしても、そこには邪さがあるのだろう。一度価値観で固めた意識の中に「少なくとも自分にとって最大の存在である少年に対して、不謹慎な接し方をしてはいけない」みたいなものがある。
少年に対しての自分の中の考えを確立する以前なら、俺は自分の不謹慎さにはかなり無頓着な部分が強かった。今はそれを納得しない事に決めている。
以前の状態にさかのぼって考えて、もう一度同じ道筋をたどって同じ感覚に行き着こうと思っても、今度は以前決めたモノが障害になってそこまで行き着けなくなってしまう。
出発点が不謹慎な状態の自分→ゴールが不謹慎さを排除した上で求められる考え方。
テレビゲームみたいな感じで例えられそうだ。
出発点からスタートして、敵をかわしていくために、自分の来た道にいくつもの罠を仕掛けておく。
ある程度進んできた部分で不意打ちに合いゲームオーバー。
もう一度スタート地点からゴールを目指す。
今までのスキルが全てチャラになってしまった状態で同じ道をたどるのだが、以前に自分で仕掛けておいた罠に阻まれて先に進めなくなる、と。
最初から「求めて善い理由が見つからない」となる。どんな形であるにしても。
でも、ショタコンを拒絶しない少年は、それがどれだけ不謹慎で不道徳な事なのかを自分自身でちゃんと自覚できていない部分が強いと思う。
「求めるべきじゃない」が正しいのかもしれない。

日に何度も考えている事が変わり、安定しない。
求めたいとか関わりたいと思うほど、少年への感情が強くならない。
強い意識を持てる対象がなくなる事への抵抗や、それだけの目に合わされているのに不謹慎にもあまり何も感じなくなったり欝になれなくなった事や、実際にそういう目に合わせたような奴らを否定する気持ちを強めたい、とかそういう事で色々考え始めていたのに、いい加減になる方向を選んでいるようで気が引ける。
意識も低下しすぎているし、まとめてみるほどのものでもないか。
欲求とか条件とかで考えていくと、今まで少年に対して感じていたものがどんどん消えていきそうになってきた。
昔は「自分は少年好きだから誰とも付き合わなくてよくてラッキーだ」みたいに感じられていたくらい、人間とか恋愛とか殆どわずらわしいくらいにしか感じていなくて、「何で求めなきゃいけなんだ」とか、風潮とかそういったものに嫌悪してたくらいだし、今の対象を求めない状態が自分にとっての本来の普通なのかもしれないな。
少年に対してまでそんな風に考えるなんていい加減で酷すぎる。そんなに軽い存在じゃなかった。
なんか板ばさみって感じだ。自分が分からなくなってくる・・
少年を絡めた上で正しいと納得できるように、考え方、感じ方を構築していく。
一度は絶対的にまで思えて強い感情も持てるようになったのに、このまま不謹慎、無感覚に戻っていくのは嫌だな・・
自分の中で「大事だ」という風に出来ていたのに、納得できない。

新撰組が最終回だった。
大河ドラマは今まで1話だってぶっ通して観た事がなかったのだが、1話どころか1年間観続けたのはこれが初めてだ。
主人公の近藤勇が斬首される場面で幕を閉じた。
首を斬られるのを怖がっている様子はなかった。
実際には演技だからそうなんだけど、「〜だから死んでもいい」と思えるほどの強い意思や感情を持ってるんだな、とそれが少し羨ましく感じた。
今の自分には意思なんてものは欠片もない。空虚だ。
次回からの「義経」は、予告を観た限り主人公の子供時代がかなり可愛いので、前半だけ観るかもしれない。
少し息苦しい。


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リュカ

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