リュカの日記

2004年12月11日(土)

気分が悪い・・
そういう事にはなってほしくない、そういう事はありえない、そういう目には合わせたくない。

今日は午後1時半頃に目が覚めた。
色々意識し始めてから、自分の内面がさらにあやふやになってきた。
寝起きからタイプの子に関するいやらしいような事が浮かんできたのに、それに対して嫌だと感じる気持ちが極端に薄くてあやふやだった。
それから、不謹慎な事に対する軽い後ろめたさを感じつつも、浮かんできた妄想で自慰をした。その後ろめたさも、ちょっとしたストレス程度にしか感じなかった。
どんどん不謹慎になっていく。

少年がそういう目に合う可能性があるんだ、と考えると、自分が求めていたようなものとか少年とか、可能性が出てくると全部が軽い、それほどでもないもののように見えてくる。
惰性が出てくる。
タイプの子っていうのは、可愛いし綺麗だし、見た目だけでも他の人間とは全然違う。かけ離れている。質からして違う。
あと、精神構造が少し違う。
現実的にハッキリしているのはそれくらいだ。それは理解できる。
感じるというよりは「そうなんだな」と見てて理解できる違いだ。
俺は思い込みが強かったから、それらの違いから、どんどん思い込んでいってタイプの子を夢みたいな存在にまで思う事ができていた。それは、夢の中にそういう子が出てきて余韻に浸ったり、夢の中でしか関われないような距離感があったためとも言えるけど。強い時には絶対的にまで思い込む事もできた。
でも、タイプの子のそういった違いは理解できていながらも、それまで持ってた思い込みが消えてしまうと、今までのように少年に対して強いものを感じられなくなってしまう。現実主義になるというか、惰性が見えるというか。
それが何か嫌に感じる。
「今週で新撰組が終わる」とかで、以前のゲーム仲間がメッセで声をかけてきた。
焼き鳥、とかいう奴だ。
かなり久しぶりだったので色々話した。
内容は主に新撰組の事とデスノートの事だった。

いやらしい興奮を求める意味でタイプの少年を浮かべたり、ネット検索でそういう類の話を耳にしようとする時に、少年とそれらの内容からの性的なものを「セックス」という風なイメージで固められやすくなりやすい。
そうなると、自分が少年に対して欲情するのはセックスなのか、と思えてしまう。だから、求めるほどのものじゃなく感じられたりするのかな。
同性愛者のページを見ても、性的なものとしてセックスが出てくる。
違和感を感じる。
タイプの少年がそれをされるのは絶対に嫌だけど、俺自身が欲望から求めるものとしてセックスを浮かべてみると、どこか「そんな程度?」という感覚になってしまう。
俺の求める欲求はセックスじゃなかった。
一部じゃなく、全体を奪うような類が本質だ。相手が苦しむからセックスでも興奮する、とかもその中の1部分だったり。
一般が欲求の最終段階としてそれを求めるから、俺が求めるのもそれなのかなと、違ったものを求めてるような気になり、どこか軽くて求めるほどのものじゃなく思えたりする。
自分にとって、それほど求める行動じゃなくても、タイプの少年がいやらしい意味で何かをされるというのが許せなかったりする。
行為よりも対象重視だから、その対象に関わる行為ならどんな事でも重く見えたり。それ自体に興奮する、とはやっぱり違うな。
あまりそういう事で自分と他人を比較したり話を聞いたりする事がなかったので、それが普通なのか違っているのかハッキリしない。
どちらにしろ、タイプの少年がされるなら、どんな行為でも許せない。
自分自身がどんな形の性癖なのか、とか、最近ではあまり自分にも関係のない事のように思えてくる。
セックスを求める欲求だろうが、他のものを求める欲求だろうが、実際に求めない事を決めている以上、あまり自分には関係ない。
以前の俺は、自分が欲望を満たせない事を「納得できなく」思っていた。
実際、生理的な感覚だけなら自分で処理して片付けられる。
俺が思うに、性欲というのは真っ二つに分けられる。「生理的感覚」と「それに伴う精神感情」だ。
生理的なものを絡めて感じられるストレス、みたいな感じで欝になったりしていたのだろうか。欲求不満も、生理的なものを絡めた精神的なものなのだろう。
その精神的なものを、生理的なものに絡めない方向で求めるように軌道修正。
「絶対にそんな目に合わないのだ」みたいな。タイプの少年自身がそういう事と一切関わらないなら、自分も欲求を満たしたりしなくても納得できる、みたいな考えもありそうだ。
欲求不満に対して向かっていた「満たせなくて納得できない」とかいった精神感情を、精神的な理想のようなものに向かわせる。そうして出来上がったのが、俺が今まで言ってた価値観かもしれない。求めるものが、少年自身が認めてくれそうな物事に変わった。
俺は少年がこういう事を嫌がるのだ、または嫌がるべきなのだというイメージを持っている。
合意で何かをしているというのを聞いたりしても、胸糞悪い。
合意だから、恋人だからと少年に手を出す事を当たり前の事のように正当化しているような奴はクズに思う。
俺の判断基準は、少年を求める自分側(またはショタコン側)からの勝手な意見でもなく、それを拒絶しない少年側の意見でもなく、自分の中の『少年はこういう事を嫌がるのだ、または嫌がるべきなのだ』というイメージを基準にしている。だから、それに沿わないものは納得しようがないものなのだ、という風にしている。
複雑すぎてイマイチ言葉でまとめ切れない。以前考えていた事と照らし合わせてみると、矛盾も出てきそうな感じだけど、とりあえず今日考えたことをまとめてみた。
自分の持ってる少年愛(欲求と精神)の、ある一部分を切り抜いて考えてみた感じだ。

そういう少年が悪戯されたと聞くと、「話に聞いた特徴だけ考えたらタイプの子に思えたりするけど、実際に見たら俺が思ってるタイプの子とは違うのかもしれない」みたいな意識がどこかにあったりする。
俺が思うタイプの子が悪戯されたりするというのを、まだ少し信じていない部分もありそうだ。


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リュカ

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