気分が重い。 どんよりした感じだ。 心に引っかかる自分の内面を吐き出したのに、とてもスッキリとした気分にはなれない。 内容が内容だし、当然か。 今日は色々考えながら眠ろう。
少年に対して感じるものを1として、欝の比重と欲望の比重。 欝がキツくてたまらなかった時(価値観が正常だったと思えた時期)、欲望の比重は1〜1.5割程度。8.5〜9割が欝。 総合的に見て欝だと言える。自分的には、ハッキリ否定できていたのだと思う。でも、欲を感じていたのも事実。 中途半端になった今、欲望2〜2.7割。欝1.5割程度。自分の感覚が中途半端な状態なのだという事に対するあれやこれ7.3〜7.5割くらい。 欝と比べる分には欲望の方が強いみたいで、不謹慎に思う。 といっても、その中途半端な現在の1自体が欝がキツかった頃と比べて0.3程度くらいにまで収縮されてる。 ハッキリ欝の方が勝っていれば「まだマシなんだ」と思えるだろう。 少なくとも不謹慎とか軽はずみだと感じる事は少なくて済む。 割合や言葉で表そうとすると、どうも軽くなってしまう。 俺は欲望が欲望だし、少年を好きになるとしたら感情だけで、じゃなければならないだろう。 欝や欲望だけ除外している分には、夢のような非現実的な存在に感じる事もできただろう。今はそう感じる事も難しい。 価値観、感覚が戻らない。 結局不謹慎なままであり続ける。 何を考えても自分の欲や中途半端さに対する言い訳のように感じられて、うわついている感じがする。 自分が欲求に向かっている時、「これは本題とは離れた事なんだ」と、後ろめたさを誤魔化しているのが現状だ。 憎んでいる事は確かだが、 自分のためにも少年のためにも、タイプの子が悪戯されないにこした事はないだろう。 これからも、少年がそうされる事は望まないし否定し続ける。 何かグダグダ。自己嫌悪だ。 本当にいい加減だな。軽はずみで不謹慎だ。 自分で、また「少年を大事に思うことができているんだ」とハッキリ感じられるようになりたい。 価値観が強かった時期でも、欲はあったわけだから、本当の意味で大事には思えていないのかもしれないが。結局は誤魔化して単純化して、ひとつの方向に向かわせてるだけなのだろうか。でも、否定し続けていきたい。 タイプの子がそうされる事も、そういう奴らがいる事も、自分が欲を感じる事も、全部ひっくるめて消えてほしい。認めたくない。 昨日考えた事で、また自分の中で分岐点が生まれた感じだ。ゴミだな。
ピーク時にマクドでハンバーガーを作っている夢を見た。 普通のバーガーの注文が一人の客から125個入った。 バーガーの具体的な作り方を思い出した。 今日は午前9時頃に目が覚めた。 寝起きから気分が重い。 少年が悪戯される事に対して興奮もしてしまい、その事で考え始めると、「絶対にそんな目には合ってほしくない」という気持ちまで軽くなってしまうように感じられる。 本来、求められる側の少年というのは、ショタコンなんかが手の届いていいような存在ではない。 それなのに、逆にショタコンに支配されてしまったり言いなりにさせられているような状況は考えられない。あってはいけない。 いくらショタコンが望もうが関わる事ができないような綺麗な存在なのに、何でそんな存在が汚い奴らに支配されたりするのか、とそれが信じられなく感じたりもする。 ショタコンが頭に浮かべる、少年に対する欲望や色々ないやらしい妄想なんか、少年側からしたら元々価値観にもない理解できない汚いものだ。 それなのに、タイプの子が実際にそのショタコンの頭の中だけにあったはずの妄想通りにされてしまったり、欲望のままにされてしまっているのが耐えられない。 俺の中で、「少年が酷い目に合わされても興奮するんだ」という意識が出てくれば、「否定すべきことなのに・・」という矛盾が出てくる。 否定し続けたい。意識の中にうやむやにして隠す。 実際に自分はそういう事に興奮したりするのに、少年が酷い目に合わされる事を「ありえない」とか「認めたくない」と考えている時、俺は自分が興奮したりもするんだ、という事は意識していない。 「そういう目に合って欲しくない」という意識を強めていくためにも、自分が興奮するんだという意識は邪魔でしかない。 軽蔑されるべき欲求、衝動でもある。 俺が求めるのは、そういう目に合わされた、みたいなありえない出来事とは全く関わりのないところにいるタイプの子、から得られる心の平安だ。 それは、あの子に「自分もそういう事をされたんだ」という事を聞かされる前に、あの子に対して感じ始めていたものでもある。 その上でも、やっぱり欲望は沸いたりすると思うけど、「ありえない事」のままにしておくようにつとめる。 タイプの子がそういう目に合わされる、というのを望みたくないし、自分が望んでるとも思いたくない。 だから、少年を大事に思っていこうと思うなら、俺の中での少年に対する最大の孝行は、「少年に対して欲望を求めない事」と、「自分の持つものも含め、少年をショタコンのそういった汚い欲望と関わらせないようにする事」だ。
学校へは午後から行った。 彫刻の授業を受け、とりあえず指示された部分だけは全て彫った。 考え事もしたりしたけど、何だかとてもいい加減な考え方だったように思う。 授業が終わり、図書館で「ふたりのロッテ」という映画を観た。 なかなか面白い映画だったと思う。11.2歳の双子の少女が主人公で、1982年生まれとなっていた。タメ年だ。 自分がその年齢の時はこういう画質だったのか、とか思ったりした。あまり綺麗な画質ではない。 観終わったので家に帰った。 帰り道、あの子に話を聞いてからの事や、その後俺がどんな風な態度であの子と接していたか、とかを色々思い出したりしていた。 自分から拒絶したのだが、やっぱり寂しいような気分になった。 あんな風に好きになられたら、普通ならそのまま親しくなれたりするものなんだよな、とか思うと悲しい感じになってくる。 絶対に受け入れられない、というのがハッキリしている上でこんな事を感じるのも、考えて善い類の事ではないような気がする。 未練に思うのもタブーだろうか。
少し前に、来週のデスノートだけ毎週UPしていくページを見つけた。 月曜の楽しみが減る気もするけど、学校でジャンプを読むよりも落ち着いて読む事ができるので、今週からここから落とす落とす事にした。 以前も同じようなページがあったが、そこは削除されてしまったらしい。 http://www.geocities.jp/sinia_the_superstar/desuno/index.html 次が早く読みたくなるような展開だった。 シュロさんとかも良かったらどうぞ。
気分がモヤモヤする。 自分の持っている面を改めて再認識して、どう考えていっていいのか分からなくなる。 欲求を持っている=否定しなくなる、なんてのは間違っている。 否定し続ける。 少し混乱する。度合いどうこうもあるけど、何だか不謹慎な気分にもなる。高揚してはいけない。
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