リュカの日記

2004年12月09日(木)

昔見かけた可愛い男の子が印象に残っていたので、少し再現。
同級生っぽい奴との容姿の差がハッキリしていて、本当に可愛かった。輝いてる。


今日は午前8時20分頃に目が覚めた。
メッセの子が塔のてっぺんにいて、サイヤ人が梯子を持って飛んで行き、レスキューしようとしている夢を見た。火は見えなかったけど、火事だという設定なのだろうか。
あまり内容がハッキリしない。
梯子に伝わった熱のため、梯子を掴んでいた手をその子が離してしまって落下していき、何故か俺もその浮遊感を感じていた。
一方、このまま落ちていくその子にぶつかって落下速度を緩めるべきか、それとも直に数十メートル下のマットまで落とした方がダメージが少なくて済むのか、という思考が働いていた。
レスキューする方とされる方、両方の意識、感覚が同時に感じられていた。
学校へは1時限目の途中から参加した。
デザイン論。ずっと机に突っ伏してすごした。出席は取れた。
2時限目。日本語文法論。半分聞いてノートも取った。
昼休みになり、図書館で「カリガリ博士」という古い映画を観た。
以前、映像論の授業で紹介された映画だったけど、よく分からない内容だった。
3.4時限目。彫刻。まじめに作った。
授業が終わり、また図書館に行った。
「ネバーエンディングストーリー2」があったので観た。
主人公の男の子の顔が、スクリームのネーヴ・キャンベルそっくりだった。
子供の頃からよく知ってる映画だけど、内容はイマイチだった。
学校に居る間は色々考えたりしてたけど、どんな事を考えていたのかハッキリ思い出せない。ただ、凄く不愉快だった。

以前は、男の子と話す時は極端なまでに言葉を選んだりしていたと思う。
男の子に限らないが。
俺自身が欝に対して敏感だったので、関連付けられそうな言葉は全て除外して言葉を選んだ。
タイプの子に対して、その言葉で欝になられるのも、その言葉を認められるのも嫌だったからだ。
タイプの子以外に俺が使いたがらない言葉を使った場合、その言葉を軽く流されると許せなくなる事が多かった、というのも理由だ。
誰と話す時でも嫌いな言葉を避け、関連付けられる言葉自体を嫌悪していた。
最近、意識が中途半端になっていって、大して言葉を選ぶ事がなくなったように思う。無神経になった。
男の子にそういう目に合って欲しくない理由、自分の欲求について考えた。
俺は男の子が悪戯されたりする事に対して、興奮もする。
好きな子、または好きな子に似た少年が酷い目に合わされたのだ、という事に対して辛い感情も悲しい感情もある。その中には、萌えたり高揚したりする気持ちも含まれる。それを普段は必死に押し込めて、うやむやにして見ないようにする。
俺の欲求について。
俺にとって、性欲とは相手の苦しみ、屈辱、悲しみ、痛み、恥辱、汚す、それらが伴う事以外にありえなかった。
ずっとそれが普通だった。
単純に触りたいとかいう欲求もあるけど、俺の中で、触られる側というのはそれを嫌がるものなのだ、というのが常識になっていた。
欲求を満たすという事は、相手を苦しませる事なのだ、というのが俺の中での常識。
相手が苦しむ事に興奮する。
欲求を満たす事に対して愛とかそういう感情が伴う事なのだ、というのは考えられない。ただの欲求の美化、正当化だ。
欲求を満たす事は悪いことだ。後ろめたい事であり続ける。
傷つけたい、苦しめたい、辱めたい、汚したい、俺にとっての性欲とはそういう事だ。
男の子に酷い目に合って欲しくない理由。
まず、それだけの綺麗な存在が汚されるなんてのは考えられない。
それを妄想して自慰をするのは、俺がショタコンになって以来ずっとそうしてきた事だけど、現実にはありえない、自分の中の脳内妄想でありつづける。ありえない事だからこそ余計に求めたりしてたのだろうか。
少年に恋愛感情を持って以来、そのありえなさは苦痛だ。
同時に、そのありえなさは俺の欲求の本質でもある。
好きな子が酷い目に合って欲しくない、というのは誰でもが持つであろう当たり前の感情だろう。
好きな子に欲求を持つというのはどうだろう。
酷い目に合って欲しくない、というのとは逆方向だ。
傷つけたい、苦しめたい、辱めたい、汚したい、というのが欲求だ。
少年に対して欲情する事に対して後ろめたさがそこで出てくる。
好きなはずなのに汚したい、とか。矛盾が出てくる。
そういう目に合わせたくない。欲望が望むのは辱める事。
綺麗なままで居てほしい。汚すことに興奮する、とか。
悲しい、萌える、欝だ、興奮する、許せない、興味がある、同時に感じる。
感情だけを突き詰めて、少年に対して興奮したりする事を、普段は押し込めて考えないようにする。別に、日常生活に興奮が無くても問題ない。
感情の方に比重を置くのが正しいと思う。
ありえなさは興奮につながる。興奮は後ろめたさにつながる。
後ろめたくならないためには、そういう状況を起こさないようにつとめる事だ。萌えるような話を避ける。そういう目に合わないように注意する。
男の子がそういう目に合わなければ、俺も後ろめたさを感じなくて済む。
好きな子がそういう目に合うのは嫌だ。感情で悲しかったり苦しかったり許せなかったり。
嫌だと感じて、そのような目に合わないように注意したりする中に、興奮して後ろめたさを感じないようにするためだ、という意識を混ぜる。
自分が絶対あってほしくないと感じるような事=自分が欲求を感じる事、だ。
絶対に許せない事=俺が持ってる願望を実現する奴、だ。
嫉妬心もあるし、許せない感情もあるし、色々なものが混ざる。
それら全部をひっくるめて「男の子が悪戯されるのを阻止したい」と、ひとつの意識として単純化する。
男の子自身がそういう目に合うのは嫌がるし、俺がそういう目に合わないように望む事は間違ってない、と考える。
興奮という感覚は衝撃だ、信じたくないというショックも衝撃だ。
俺にはその衝撃がまぜこぜに感じられて、ハッキリ区別できな事が多いのだ。
俺は衝撃を嫌なもの、耐えられないもの、という風に捉える。
興奮しないため、後ろめたくならないため、悲しく辛くならないために俺は男の子が悪戯されない事を望むのだ、と思う。
ひとつの意識じゃない。全てまぜこぜにしたものが本当だ、と思う。
向かっている方向は同じだ。「そういう目に合わせたくないんだ」と単純化する。
好きな子を大事にしよう、と思うなら相手に対して欲求を持たない事。
相手から欲求に関するような事が意識されない事。
矛盾したものを同居させる事は不可能だろう。
後ろめたさを感じる状態での付き合いなんてのは論外だ。
タイプの子に対しての欲望は後ろめたいものであり続ける。
俺は自分が欲求を感じているんだという事を、意識の中に押し込めて、それを必死で見ないよう、考えないようにする。男の子が陵辱されたりする事に、俺は興奮してしまう。
その欲求を、俺は自分で認めたくない、見たくない、信じたくない。
自分で「大事に思うことができているんだ」と思い続けたい。
それで意識の奥に隠す。うやむやにして、欲求を感じる時でも何も考えないようにしたりする。自慰する時でも、「今の自分は自分じゃないんだ」とか、「普段考えてる事とは除外して興奮するんだ」とかいう風に思って誤魔化す。あってはならない。
心理学的に見て、一番最初に不謹慎な欲求を持つかどうかの別れ道に、『取引』があるという。
不謹慎で憎むべきものに対して苦しみだけを感じるか、欲望に溺れてそれに興奮する道を選ぶか。それが取引。俺は後者だ。後者を選べば、その後それは自分の欲求の形として固まる。
悪戯された子を求めない、受け入れられないというのは、ありえない事だと思えなくなるのが嫌だ、そんな目に合ったなんて信じたくない、自分をそういう目に合わせた奴と同じ人種だから憎んでほしい、という気持ちの他に、自分自身へのペナルティーみたいなものも含まれるのだと思う。
いつもどこかで自分自身を嫌悪している。何を考えても、それが意識に引っかかっているのに、それでも見ないよう考えないよううやむやにして、色々なものを誤魔化し続ける。
好きな子が悪戯されてなければ、そんな後ろめたさも気にせず関われる。

普段、周りにも自分にも誤魔化しているような事を突き詰めて書き出して、凄く惨めな気分になった。
暗い。


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リュカ

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