リュカの日記

2004年12月04日(土)

今日は午前9時前に目が覚めた。
起きてみると、何だか少年愛感覚が抜けきってしまっているような感覚になった。
アイドルの誰々が可愛いとかいうのを聞いても、普段の俺なら可愛いと感じていただろうに「男が可愛いって」とか、理解できない感覚のように感じられた。他の何に惹かれるものができた、というわけでもないけど。
一時的なものなのだろうか。
少年が好きだとハッキリしていた時、俺は人並み以上に少年に対して考えたり感じたりする事ができた。
それがハッキリしなくなってしまうと、少年が、その他の人間と同列とまではいかないけど、同列近くにまで下がってしまう。
そうなると、人並み以上に感じなさすぎるようになってしまう。
昨日金八を観ていて、主人公の少年が酷い暴力を受けているのを観てショックも受けたし、衝撃的だった。
「子供なのにここまで・・」という意識もあったし、以前メッセの子が酷い暴力を受けた事に重なった。
でも、そのショックが本当に短くて後を引かない。一瞬だけだ。少なくとも以前の感覚の状態と比べれば全然薄っぺらい。
以前なら、作り話とはいえそのまま数日欝になってもいいくらいのシーンなのにな。
でも、殴られたりとかそういうのは、少年がショタコンとかに悪戯される事に比べれば全然マシだ。
悪戯されたりする事の大きさは、暴力とは比べ物にならない。
実際、メッセの子だって酷い暴力を受けた事よりも悪戯された事の方がキツかった、と言っていた。
その、少年が悪戯される事が薄れてしまっているから、暴力じゃそこまでキツくはなれないのかもしれない。
メッセの子は、金八の暴力シーンを自分に重ねたのか、欝になってしまったようで、横になると言って早めに落ちてしまった。
今日目が覚めて、少年に対する感情自体も薄れてしまっている気がして考えた。少年の存在が普通の人間と同列近くにまで薄れている。
何で自分はこんなにも感じなさすぎるんだろう、と思う。
少年が好きになるまで、誰かが酷い目に合わされるという事に対して、自分がそういう目に合わされる可能性への恐怖、たまに変な欲求、以外に何かを感じる事がなかった。
少年が好きになってからも、少年以外にそういう風に色々な感情を感じたりする事が極端に薄い。
それまでも、知り合いとか親しい人間が酷い目に合わされても、怒りを感じる事も悲しく感じる事も同情もなくて、そのために後ろめたさというか、沢山ばつの悪い思いもしてきた。
俺の中で、人が傷つけられる事に対して悲しんだり怒りを感じたり同情したりできないのは「悪いこと」とか「酷いこと」という意識は強かった。
それを感じにくい事に対して後ろめたさを感じる事が多かったから、同情する演技、悲しむフリ、とかそういう風に振舞う事は多かった。「自分はどこかおかしいんじゃないか」と思わされて不安になる事も多かった。
少年に対して初めて演技なしの素でそういった色々な事を感じられるようになったのは衝撃的だった。と言っても、少年に対する同情や悲しみや怒りが、少年に対する共感から、というのとは全然違うけど。自分にとって大事に思える対象への感情といった感じだ。
唯一そういう感情を人並みに沸かせられる対象という事もあり、その感情は俺にとっては凄く貴重なものだった。
どんどん思い入れも強くなっていくし、その感情も人並みのそれを何倍も超えるくらい高める事ができたと思う。
その感情のために、欝で立ち直れないくらい苦しんだりもしたけど。
薄っぺらい事は不謹慎な事だ、とか許せない事だという意識もあり、少年に対してちゃんと思う事ができなくなって、それで後ろめたく感じる事がよくある。
少年以外に対しては「それ以外の人間がどうなろうが知ったこっちゃない」と割り切る事はできるようになったし、今はそれで善しと思える。
「それ以外の人間」というのは、少年を酷い目に合わせる可能性のある人種でもある。むしろ「何で同情なんかしなきゃなんねーの?」という感じだ。
少年に対して割り切ってしまいたくない。それを割り切ってしまうと、ただの不謹慎な最低野郎にしかなれない気がする。
「絶対的にまで思えていたのに・・」という意識もあるし。
なんか、文章まとまらない。
少年以外にあまり何も感じない事は、少年にだけ強い感情を持てている状態でなら強みになったりするけれど。
少年以外が酷い目に合わされる事に悲しみ、怒り、同情する人間が少年に接する際の言動が余計に軽はずみに思えたりする。
その人間は少年とその他を同列並に見る。俺は、少年を他人の何百倍にも感じる。その人間が少年を気遣う感覚は、俺が少年以外の人間を見る感覚程度しかないのだ、と感じる。

ブリーチという漫画が沢山出回っているので、集めてみることにした。
一応連載開始からずっと読んではいたのだが、殆ど流し読みという感じで頭に入っていない部分が多かった。
この前落とした「ソウ SAW」という映画を観た。
主人公が自分の足をノコギリで斬り落とし、床をはいずりながら銃を手にしているシーンが衝撃的だった。
足を切断したせいか、全身の血の気が引いて真っ白になり、声が曇っているのが怖かった。
その衝撃から、色々な事を意識した。
俺は、少年を助けるためにノコギリで自分の足を斬りおとせるか?と聞かれても、ハッキリと「はい」と言えるだけの自信がない。それは価値観が強まっていた以前もそうだったと思う。
自分が拷問を受ける事と少年を助ける事を天秤にかけなければいけない状況、というのをリアルに妄想する事が多かった。
どれだけの痛みになら耐えられるだろう、どれだけの拷問までなら受けられるだろう、と。そんな日がこないとも限らない。
そういう状況になれば、アドレナリンで痛みや恐怖が飛ぶのかな。
「絶対に無理」だと感じるような痛みもあるだろう。
少年を目の当たりにしても、俺が拷問を受ける事を拒否する場合もあるだろう。
でも、もし自分がそれらを拒否したら、少年に対する想いも全てニセモノに変わってしまう。
そんな状況にはなってほしくない。
恐怖を感じる想像できうる肉体的な痛み、とすると、実際に自分が今までに何度も受けた事があるような、殴られる痛みや蹴られるといった、日常化していたリアルな痛みよりも、生きたまま切断とかエグル、ひきチギル、裂く、目を突き刺すといった拷問的なものが一番イメージされやすい。
俺は人一倍痛がりで、子供の頃からそうやって、いつか自分が受けるかもしれない、そういった類の恐ろしい痛みが浮かんで、恐怖を感じて眠れなくなったり、リアルな痛みを与えられるような時は、それがエスカレートして、そういった恐怖を感じる類の痛みに繋がっていく可能性を恐れ、大して痛がってもいない癖に痛がるフリをして、それに繋がる前に何とか終わらせようとつとめる事も多かった。被害妄想が強すぎるおかげか、実際に殴られてみると「あれ?この程度?」と感じる事も多くて、何とかその恐怖にまで繋がらないように、と考える。大して痛がっていない事がバレると、さらにエスカレートしていくのだという事は目に見える。
その後の自分の性癖に繋がっていったのも、元はそういった恐怖感から繋がっていった部分もあるのかな、と自己分析してみる。
そういったえげつない事、というのがイメージされやすい部分も強かったし。ヤンキーみたいな生活をしていた時は、そういった毎日のプレッシャーが凄かったな。俺はかなりのヘタレだった。
少年以外の人間がそうされる時、自分がそうなる可能性を浮かべない分にはあまり何も感じない。少年がそういう事になる可能性に関連付けられる事はあるけど。
少年と絡めて考えてみても、自分が受けるかもしれないそういったえげつない拷問への恐怖、というのはいまだに頭の中で克服しきれていないと思う。
少年が被虐させられる事を思い浮かべた時、自分が受ける可能性よりも憎しみを感じる事が多い。欲求に繋がるからか。自分が欲求を感じる事=自分が許せないと感じる事。
それとは別に、少年を浮かべて恐怖を麻痺させられる時もある。
少年が痛みを受けたのに、または受けるかもしれないのに自分なんかが痛みを恐れて善いわけがない、と恐怖を感じる事自体が凄く自己中心的な事に思えたり。
でも、俺だったらそれを拒否するかもしれないと思った場合でも、同じ状況で拷問を受けずに少年を犠牲にした奴がいたとしたら、俺はそいつを責めると思う。
今日は痛みについて考える事が多かった。
映画を観て、今回は少年に絡めてもヘタレな自分になってしまった。
色々考えながら書いているうちに、切断などの痛みに対する恐怖心が蘇ってきて、手に力が入らない。震えが止まらない。


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