どんな理由があろうと、タイプの子は絶対に受け入れられる、という自信が持てないのが嫌だ。 以前の概念に「悪戯される」というのがなかったけど、今の俺は悪戯されてない少年でさえ受け入れられる気がしない。 そんな少年と関われるなんて事は願っても無い事だったはずなのに、少年と関われる事になった時、俺がそれを心底嬉しく思ったり、一生でも二生でもかけられる、みたいに思い込めるほど強い感情を持てていない事が嫌だ。 本当ならありえないくらい嬉しい事だったはずなのに、よりにもよって、そんな機会がやってきた時になっていきなり少年への感情が薄れ始めてしまった事に対する悔しさ、みたいなものが残り続けている。 本当は、その子自身が悪戯されていたわけだから、俺が強い感情を持ち続けていたところで受け入れたりはなかったんだけど。 それでも、好きになってもらえた時になって、俺の方が感情を持てなくなっていったのが凄く悔しい。 本来、俺の方が少年をメチャクチャ好きで、少年の方は俺なんか眼中になくて、が当たり前だったのに、そうじゃなくなった時に想えなくなっていって・・・・・ 午前5時半頃に目が覚めた。
少年が陵辱されたりする事を「しょうがない事」みたいにしたくない。 全部ゴミ野郎のせいだし、自己中で汚いゴミ野郎さえいなければ済んだ話なのに。 絶対にそうされない存在だったのに、それに対して信じられないとか信じたくないとかいう感覚や未練が残り続ける。
痛みについて考えていて、何となくこんな絵を描いてみた。
 『キラめ・・・・・』
学校にいる時とかは「早く帰って考えたい、整理したい」と感じる事が多いのに、こうやって休日になってみると、考える事を避けて息が詰まる感覚だけでモヤモヤしてしまう事が多い。 意識せずに逃げれそうな時には逃げておきたい、とかそういう甘え意識が強いのかもしれない。 学校に居る間>考える事によって意識されたプレッシャーから開放されたくて、落ち着いた場所で考えたくてたまらない。何時までは学校に拘束されてる、と時間に制限ができているので、考え出す事を始めやすい。どうせ家に帰ればちゃんと考える事ができるんだという意識があるからか。 家に居る間>落ち着く場所は確保できているので、そのまま横にでもなってそのうち考える、そのうち考える、と逃げてしまう。時間が無限にあるので、考え出す事のキリの無さが意識されてプレッシャーとなる。 こうやってまとめてみると、やっぱり落ち着いた場所で余裕がある時こそ考えて考えて、苛まれないといけないんだけどな。 でも、何故か性癖の事で悩んでいた頃は逆だった。 家に居る時間が無限にあって、それで欝に陥る事が多かった。 逆に、学校に居る間は気分が楽で、とか。 何なんだろうな、一体。
掲示板で理不尽な因縁をつけてくる奴らがいたので煽り合いになった。 当然のようにそいつらを言い負かした。 相手がつけてくるイチャモンに俺が反論する。その反論に対して言い返せない相手が別の話題で煽ってくる。それについても反論する。言い返せない相手がまた別の・・・といつものパターンだったけど。 最終的に文句をつけてきてた奴らが、勝手に幕を引いて逃げ出した。 その先、他にどんな文句が返ってきても返せる自信はあったけど。 勝手に相手が逃げたので、少しスッキリした気もしたけど、どうせならもっと恥をかかせてやりたかったなとも思う。
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