リュカの日記

2004年12月01日(水)

最近、よく何度も身の回りで「誕生日おめでとう」とか言ってる人間を見かける。
俺の誕生日の翌日にも、学校へ向かう途中携帯で「今日誕生日やんなぁ〜。おめでとう」とか言ってるのを聞いた。
昨日か一昨日、学校でも誰かが誰かに言ってるのを聞いたし。
11月が誕生日の人間は多いのだろうか。
現在午前1時26分。
何か、今日も徹夜しそうだな。
昨日のように眠い時でも、この時間に眠るのは勿体無い気がして起き続けてしまう。
別に何かしたい事がある訳でもないのに、ズルズルとパソコンに向かってしまう。
今の時間が一番静かだし、俺にとっても貴重な時間帯だという事なのだろうか。
音楽を聴いてコーヒーを飲み、乾燥したチキンラーメンを食べながら次は何を描こうかと考える。
めっちゃ和むわぁ。
最近、お絵描きツールで今まで知らなかった機能や使わなかった機能を使うようになった。今まで知らなかった描き方を知り、あまり水彩を使わなくなった。だいぶ幅が広がった。

何か不安定だ。
少年に対して、関わりもないのに引き止めたり、そういう奴を求める少年を嫌がったり、ずっと傍に付いてるわけでも、その子の人生に対して責任を持つわけでもないのに勝手に心配したりするのも、結局ただの独りよがりでしかないのだろうか、とか考えた。
俺も無条件じゃないし、そういう事と関わった時点でちゃんと感情沸いたりしなくなるのに、それで少年の生き方に口を出すのも無責任な事なのだろうか・・
俺が心配するような事=少年自身が傷つくこと、とは限らない。
注意する事で逆に息苦しくさせてる時も多い気がする。
でも、せめてショタコン野郎に対しての妨害だけは続けよう。
いくら少年がそういう奴をかばおうと、俺がそんな奴らに敬意を払う必要なんて全く無い。
目の届く範囲にそういう奴が現れたらとことん邪魔してやろう。
告白してくれた子も含めて知ってる子が何人も悪戯されたのに、それだけは確実に俺が持ってるちゃんとした権利だと思う。
その中の一人にならないように、ならないようにと心がける。
ショタコン野郎の文章を読んでて、その中に自分と重なる部分があると、それだけで凄いストレスを感じる。
例えその中に、それまで自分が正しいと感じていた考えが含まれていたとしても、ショタコン野郎が同じ事を言うと、絶対的に正しいのだと思えなくなってくる。

最近、自分が考える事や感じてる事が軽はずみになってきた気がする。
「少年自身が喜んでることだから」といって否定しなくなりそうなのも、心情的にどこか軽はずみに見てる神経からくるのかもしれない。
本当に重く受け止めてる時だったら、少年自身が喜んでるとか求めてるからというのは関係なかった。
こういう軽はずみを「うわついた神経」と言うのだろうか。

価値観が崩れて、軽はずみで不謹慎な奴になってしまいそうだ・・
ずっと「合意だろうが何だろうが、どんなささいな事でも認めたくない」としていた事なのに、軽く流すようになってしまいそうで、本当に薄っぺらで軽はずみな奴になってしまうのが嫌だ。
というか、それを流すこと自体が最低だ。
未成年で、しかもタイプの少年が、例えどんな理由があったところで、そういう事と関わる事は「善し」じゃない。
これはもう決まりごとだ。
それを侵害するような物事や人間は、一生許さないくらいに憎み続けたい。
それでも全然足りないという意識も強かったのに、何だかそれらがあやふやになってきて嫌になる。
「今までの自分は何だったんだろう・・」という風になりたくないから、必死で価値観にすがり付こうとしている部分もあるかもしれない。
大事に思いたいと感じながらも、大事に思えていないのが現状だ。
一方で、楽になりたさからか考え疲れからか、何とか大事に思わなくてもいいのだ、という理由付けができないか探している部分もありそうだ。
そんな状態で以前のように大事に感じる事ができるわけがない。
自分死ねよ、と思う。

学校へ行ってきた。
1時限目から出席した。
4時限目が終わるまで、眠ろうと思ってずっと机に突っ伏していたけど、数分意識が消えただけで眠る事はできなかった。
全部の授業が終わり、これから家に帰るのだという時になると、眠気と眠気からくる吐き気でフラフラになりながらも、こんな眠い状態で歩いていくのもしんどいなという感じで少し眩暈がした。
少し眠ろう。


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リュカ

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