昨日はずっと弟のパソコンの前でウェブ検索したり漫画絵を描いたりして過ごした。 微笑ましい話を聞いた。 俺からして、タイプの子とタイプの子が恋愛しているという話だ。 タイプの子同士だと汚されない。誰にも邪魔する権利なんてないし、ハタから見てても凄く良い。これこそ本当のボーイズラブだ。 ショタコンの入る隙間なんて欠片もない。 一人で勝手に感動してしまった。住む世界が違いすぎる。 俺は絶対タイプの子には釣り合わない。こういう話を聞くと、俺がタイプの子と恋愛できないのも当然だなと吹っ切れる。嫉妬のしようもない訳だし。 むしろ応援したい気分にさせてくれる。 ただ、俺と同じようにタイプの子に釣り合わないショタコン野郎がタイプの子に手を出すのだけは、俺にとって他の何より許せない。 しかも、それが俺より年を食った親父ならなおさらだ。 たとえイケメンと呼ばれる人種だろうと釣り合わないし許せないのだから当然だ。 これは嫉妬なんてレベルの話じゃない。 俺が心底望むのは少年の幸せよりも純潔だ。少年の幸せとかは二の次だ。 それがちゃんとしてない限り他の事は望めない。 タイプの子同士なら問題ないしショックもないしむしろ嬉しい。 それ以外の奴が手を出した、それどころか悪戯するなんて絶対に許せない。身の程を知りやがれ糞共が。 たとえ合意だろうと認めない。自分も同じように手を出せば苦しまなくて済むとか言ったり思ってる奴等も死んじまえ。散々別の意見で引っ張っておきながら、最終的に「ただ好きなだけで何が悪い」とか開き直る口臭い親父、お前も死ね。 お得意の御都合主義うたって、反論できなくなれば俺の言い回しパクッて返すしかできない詭弁者共が。最初から開き直る救いのないゴミもいたっけな。お前の一生かけたって少年の純潔は賄えない。 タイプの子と比較するなら、どんな人間だろうが価値を持たない。最底辺のショタコンなんてゴミ中のゴミだ。俺は俺より卑しい奴が許せない。 その癖自己嫌悪も持たないんだよな。俺は自分を嫌悪するけど、それ以上にお前達を嫌悪する。 鬼の首でも取ったかのように、自分も同じショタコンだろ?なんて言われても、そんな言葉でショタコンを責めるのを止めるほど自分を特別大事に思ってないから。 だから何?て感じでショタコン否定を止める理由にはならない。
今日は午後2時過ぎくらいに目が覚めた。 以前なら、タイプの子に嫌悪されないんだ、というのは喜びだった。 それで人生が明るくなったり、希望が見える事もあったし。 でも、あの子の事があってから、タイプの子から嫌悪されない事や否定されない事が嫌なものに変わった。迂闊に喜んで善い事じゃない。 逆に、何で少年を汚すような人種を少年自身が嫌悪しないんだ、と嫌になる。 もう、以前のように素直に喜んだりする事は出来なくなった。嫌われてないと気が済まない。 タイプの子に認められてるんだと思うと、例えそれが他のショタコンじゃなくて俺だったとしても、少年が俺の価値観に反する、まるで自分が悪戯される事を少年自身が肯定しているような印象を受けて、少し恐ろしいような絶望的な気分になる。その感覚は、あの子の事がある以前に、好きな子が誰かと恋愛している可能性を思い浮かべる感覚に似ている。止めてほしい。 自分が認められる=少年がショタコンを認める=少年自身が汚される事を否定しない。もう、そういう風な感覚で固まっている。 俺の中で、自分だからという風に例外には入らなくなった。 昔は、普通の男女が恋愛してるように少年と恋愛できる世の中になればな、とか考える事が多かった。今はそれが絶対に嫌だ。 タイプの少年が普通に年上の男と接している様子を見かけて、自分に可能性が見えそうになると、何でそんなに無防備なんだと落ち込む事が多くなった。少年が自分を認める=安心の逆だ。あの子と知り合う以前なら、さらにそのまた逆だった。 タイプの少年を思い浮かべる時、自分から見ての俺は他人になった感覚だ。 自分に対して嫉妬するのか。自分が少年に気遣われたりするのが許せないのか。他のショタコンと同じように、その可能性を認めたくなかったり。どうしても邪魔してやりたくなる。少年が汚されたり悪戯されたりしない事、以上に望めるものは何もない。される可能性が連想されそうな出来事も絶望的だ。
俺が一番金を使う事が多いのが漫画だけど、最近小遣いだけじゃタバコ代もギリギリになってきた。 新しい漫画でもMXで出回っているので、これからは何となく続きが読みたい、程度の漫画だったら買わずにMXで探す事にした。 何で今までそうしなかったんだろう。タダで漫画が読み放題だ。 シガテラと莫逆家族の新刊が欲しい。 「ライフイズビューティフル」という映画が落ちたので少しだけ観た。 昔観た時は爆笑ものだったけど、今観てみるとそうでもない。
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