リュカの日記

2004年09月22日(水)

タイプの少年に好きになられるなんて、本当に奇跡といってもいいような事だったのに、何でこうもそれ以上に最悪な事に邪魔されたりするのだろう。
その奇跡と悪戯は常に1セットだ。

「スターシップ・トゥルーパーズ2」を見た。
数年前に前作を観た事があるのだが、かなり長い映画だったと思う。
でも、今日観たのは1時間27分と、かなり短かった。
何だか観ている間に色々と嫌な事が浮かんできて息苦しかった。
意識の浅いところで色々考えていたんだけど、何を考えていたのかよく思い出せない。
戦争映画だ。
何より優先すべき事があって、そのために命をかけられるかとか、状況によっては何が小さく感じられるのかとか、そんな事を考えていた気がする。
以前でもそういう勇気があったかどうか自信はないが、今の自分は確実にそこまで感じる事ができていない。
存在だけで全てを叶えられた気になって、人生のどんな事でも耐えられる、小さく思えるほどの存在を、今の自分は感じる事ができない。
腕がもげたり、生きたまま虫に食い殺されたりするシーンがあって、自分なら逃げずにそれに耐えられるだろうかと考えていると、少し頭が混乱してきて文章にもまとまりが付かない。
自分にとって凄く大きな意味を持つ事があったとしての場合で、そういう痛みや恐怖を引き換えにしなければならなくなったら、どうなのだろう。
心底絶対的だと感じられていたら、脳内麻薬で恐怖や痛みを飛ばして少しは耐えられるかもしれないけど、今の感覚じゃそういうものは出てこなさそうだ。
以前は強く感じ取る事ができていたのだ、と知っているだけの状態で、そこまで恐怖や痛みに立ち向かえるものなのだろうか。
俺は人一倍痛みへの恐怖が強いのだと思う。
そんな事を考えていると凄くプレッシャーがかかってきた。

フルハウスが一本落ちたので観ていたら、普段より話が面白くて落ち着いた。気を紛らわせようと、必要以上に面白がろうとしてた部分もあった気がする。
今日も昼夜逆転だ。
現在午前6時14分。
目が覚めたら、また認めたくないような現実が実感されて、それでいてどこか薄れてるのが自分でも分かってて、となるんだろうな。
それを考えると、今でも少し憂鬱だ。
一生眠りこけていたい気分になる。
グチャグチャというより、グチャって感じだ。
今の精神状態を傷口で例えるなら、広範囲で皮膚が破れまくってめくれ上がり、表面がボロボロになって、ガサガサに赤黒く固まった肉が剥き出しになり、固まったその肉にひび割れが出来ている感じだろうか。腕あたりの皮膚のイメージだ。
以前は、四方八方を無数の針か何かで突き刺され、その上で真っ二つに割られて中身をくり抜かれたという感覚か。心臓のイメージだ。
精神的な痛みを傷と表現するので、人間の傷口に例えてみたらこんな感じだ。
この例えじゃ、まだ少ししっくりこないな。
正確に吐き出せた気にならない。
ボロボロにめくれ上がった感じだ。

今日は午後3時半頃に目が覚めた。
価値観や少年への感情を直径10センチほどの球状の肉みたいな物体で例える。
以前は中までぎっしりと詰まっていて、酷い事への可能性やありえないような直接的な酷い事を耳にした時、それらがブスブスとその球状の深いところまで突き刺さっていく感じだったのに、今では表面には肉をまとって痛みを感じるものの、5ミリほど突き刺さった辺りから中身がポッカリと空洞になっていて煙のようなモヤになってしまっている。
突き詰めて考えていっても以前と違って凄く中途半端で、ある程度突き詰めていったところでフッとそれが実感できなくなってしまう。
以前なら卒倒するほどの物事に対して、今は凄く軽はずみに感じられてしまっているんじゃないかと後ろめたい。

メッセの子から「日本のこわい夜」という番組を奨められたので観た。
あまり面白くなかった。
観ている間、ずっと中途半端なプレッシャーや息苦しさに付きまとわれた。
中2以降の時期に友達の家に遊びに行っていた時の感覚に少し似ていた。
「つまらない、どうでもいい、人生なんて糞だ、早く帰りたい」とか。
テレビ等を見ていると、擬似的にでも人間の人生を体感したみたいで、それがプレッシャーなのかもしれない。
映画とかだと海外のものが多いので、実際の自分の生活には結びつかない。
人生ってのは、凄くしょぼくれたイメージが強い。
俺にとって、少年の存在というのは少し関わるだけでもその喜びを糧に、そういったしょぼくれたものを塗り替えるだけの力を持っていたのだと思う。
今は多分そうじゃない。


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リュカ

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