リュカの日記

2004年06月28日(月)

今日は午前8時半頃に目が覚めた。
また気分が漠然としすぎていてよく分からない感じだ。
女が酷い目に合ったという話を聞いた時とそんなに変わらない。
「俺って本当に少年が好きだったの?」とか「本当に少年を求めていたんだろうか」とそれさえ実感が沸かない感じになってしまっている。
何が特別だったのか分からない。
特別にできなくなっているのが嫌で嫌でしょうがない。
どんなに思い込もうとしてもそうならない、変わらない、消せない、そういう子と関わると必ずと言っていいほどそういう目に合っている現実に絶望して、自分の中で全部終わってしまった感じなのだろうか。
惨い現実ばかりで希望が信じられない。
深く関われなくても、そういう目に合ってないってだけでよかったのにな。
それさえままならなくなっている。
絶対にありえない存在に限って当然のようにその事実が付きまとっている。
じゃあもう関わりようが、求めようがないじゃないか、となってしまう。
そんな存在に限ってそういう目に合わせる現実や自分の欲望の事しか考えない性欲野郎共が憎い。
自分の薄汚い欲望のために、あろう事かあんなに特別だと思えていたような少年達を犠牲にする。
でも、もう求められない・・
俺が求められなくなったり特別に感じられなくなってしまったのも、少年じゃなく、そんな対象にでさえ欲望を押し付けるような自分勝手な性欲野郎や援助交際ジジイ共のせいだから全然納得できないままだ。
少年への思いが薄れていくにつれ、そいつらへの憎しみまでが薄れていってしまうのが嫌だ。
どれだけ憎んでも許されない、全然足りないような事をした奴らだ。
もっともっと前以上の死ぬほどの憎しみが沸いてほしい。
死ぬまでずっと憎んでやりたい。
俺の中で「この世で最も許せない事」「この世で何よりありえない事」「人殺しよりも許せない事」をそいつらは自分自身のために行った。どれだけ感情が薄れていったとしても絶対に許し「たくない」。
このまま少年への感情が薄れてそいつらへの憎しみまでもが薄れていってしまいそうで、それが許せないというか自分自身に納得できなくなっていく。

そんな少年と関わる事自体非現実で、存在自体が夢そのもの、という感じだったと思う。
そういう少年と言葉を交わすだけでも夢のように思えて、全てが「よし」とされたような気がする。関われるだけで、どんな幻想よりも強い希望で最高の夢のように思えた。それだけ大きい存在だった。
その存在がそういう目に合わされる、というのも俺の中の現実とは違っていたし、今それを誰からも聞かされる状況にないからまたそれも現実ではなくなっていったのかな、と思えた。
また前のようにそれだけの存在に感じられるようになりたい。
その上で、誰もそういう目には合っていなくて、
そういうタイプの少年がそういう目に合わされる事の方がありえない非現実的な事だから、ありえないモノは存在しないと否定して、自分の理想の中にどっぷり浸かってしまってもいいかな、と考えた。
現実感が沸かないのだから、それは現実じゃなく、と。
それもただの現実逃避か。
現実がなければ「もしそうなっていたら」というプレッシャーを感じる事もなかったはずだし、それもやっぱり前とは違う。
前までは、それに関連しそうな事を聞いただけでも動悸が激しくなって息切れがしたりする事が日常だったのに、今じゃそこまでいかなくなってしまっている。
その時はまだ、直接的なものを必死で「ありえない」と否定していた部分があって、その可能性が見えてしまうような関連したモノに対しても凄く拒絶反応が出てきていたけど、その直接的なものが「当たり前」のものになってしまったようで、関連しそうな事くらいじゃそこまで苦しくならなくなってしまったのかな。
少年が悪戯された、と聞いただけでも、まだそれがタイプの子なのかどうか判別しようがないから誤魔化しきれるか。
前だったら「タイプの子であるはずがない」という確信があったけど、今じゃそういう子までそういう目に合わされてしまうのが珍しくないように感じられてしまっている。
それがタイプの子だと知っても、可能性を知っていたわけだから、やっぱり「信じられない」とまではいかなかったりするのだろうか。
自分も現実もそいつらも嫌だ。
結局その現実がある限りどうにもならなくて、俺自身も前のようには戻れなかったりするのかな、と思う。
少年愛のオッサン共のせいで全部メチャクチャにされてしまった。
とりかえしのつかないほどの事をしておきながら、さらに開き直ったり自己弁護したりする最低な奴らだ。

どれだけ夢みたいな事だったのか振り返って妄想してみた。
考えてみたら、欝で辛くて辛くてしょうがなかった時も結構エタカとかで和んだりする事も多かったし、あの時はそれから逃れよう逃れようとしていたわけで、別の事で和めたりしている時はそれを無理に否定したりしなくてもいいのかな、と思えた。
感情が凄く強かった時でさえやっぱりどこか見ないようにしていた部分も強かったわけだし、何かを楽しめる時はそれを楽しむ事にしようかな、と考えてみた。
少年に対する感情が強すぎた時でさえ、強いものは感じながらもそれがどういうものなのかハッキリつかめていない部分も多くて曖昧だったり。
俺から見て、素晴らしくて汚れがなくて絶対的な少年からは、同じ世界でもまた全然別のモノが見えていたりするんだろうな、とよく思い浮かべたりしていたのを思い出した。
その少年から見えている世界は、全て素晴らしいものに違いない、とか思っていた。
その感覚を振り返れば振り返るほど、手が届かない、及ばない雲の上のような存在に思えてくる。
1.2時間そんな妄想をしていると、少し気分が楽になってきた気がする。
そういえば、今日の2時限目の授業は必修で「これからは1日も休んでは駄目」と言われていたけど、単位が取れるとか取れないとか、そんな事さえ良い意味で凄く小さなものに思えてくれる。
最近はちゃんと出席していたわけだし、今日は学校をサボろうかな。
なんか、今すごい気分が楽だ。
そもそもそんな子が悪戯されたりするわけがない、話に聞いただけじゃ分からないし、その子たちはタイプの特別な少年とは違うのかもしれないと思えてきた。悪戯されたのがタイプの子じゃないのなら、タイプの子を希望にしてもいいんだ、と感じられる。

なんか、考え続けていたらまた分からなくなってきた。
結局は放棄しただけのようにも思える。
変えたり消したりできないんなら、見ないようにする以外にないのだろうか。
前まで必死ですがりついていた当たり前のものが崩れた。
ジャンプを読んでいると面白い部分があったので、そのまま普通に和んでみる事にした。
いつもは読みながら他の事を考えている事が多かったけど、今日は話そのものを楽しめた気がする。未確認少年ゲドーが以外に面白くて、テニプリに壇君が出ていたのが可愛らしかった。
楽しめる時、和める時は無理にそれを否定しなくてもいいのかな。

しばらくは無理に考えようとせずに、思い浮かんだ時だけそれについて考える事にしよう。
多分、それが自然だ。

それにしても、本当に怠け癖がついたな。
前からそんなに頑張る方ではなかったけど、最近は特に何もせずにボーっとただ過ごしている事が多い。
無芸大食という言葉がピッタリ当てはまるような駄目人間。
一生何もせずに過ごしていくような気がする。
そういえば、学校を辞めた頃や引きこもっていた頃は、親も「ちょっとくらい学校に行ってみたら?」とか「大学くらい出てみれば?」と少し気を使っている感じがしたけど、いざ学校に通うようになると「さっさと行けや」「勿体無い事すんなや」と、この変わりようはなんだろう。
人間というのは、時と場合に関わらず、自分の要求が通るとそれに味をしめ「さも当然」とさらに付け込んでくるようになる生き物だ。
他人からモノを借りようとする奴だって、最初は下手に出てくるくせに、一度貸してやるとどんどん偉そうになってくる。
貸さないこちらがまるで悪いかのように「早く貸せや!!」と怒鳴り散らす。
バイトをしていて「悪いけど後2時間だけ入ってて」が、何度か時間延長の頼みを聞いてるうち、一度断ってみると「皆頑張ってんねんからそれくらい入れや!」に変わる。挙句勝手にスケジュールを入れられたりも珍しくなくなる。
どうでもいいか。


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