Daily Talk

2001年12月04日(火) 傷だらけのヒーロー

「監督も自由にやらせてくれるし、使ってもらえそうだし、今年はやるよ!」

今年の2月27日。 そう話す彼の表情はとても生き生きしていた。
足首はまだ痛いけれど、無理をしなければ大丈夫だと思う、と言っていた。
「キジ元気? あいつ(試合に)出れそう?」とも言っていた(笑)
新しいチームにも慣れ、試合に出場するチャンスもありそうとのことで、
シーズン開幕が待ち遠しそうだった。
この時の彼の表情を、私は忘れないだろう。

4月7日。 平塚競技場で、初めて公式戦に出場した彼を見た。
後半途中に彼が登場した時、アウェイのサポーター席から大きなコールが聞こえた。
「おーにし!! おーにし!!!」
ピッチに出てきた彼は、その大きな声援に応えるようにピッチを駆け回り、チャンスを作った。
マリノスでは「見たことない」「そんな選手いたの」とさえ言われた彼が、
こんなに期待され、その期待に見事に応えている。
よく見ると、立派な横断幕もはられている。 本当に、心から嬉しかった。

結局その試合は新潟がVゴール負けを喫したけれど、
あの日の大西コールも、積極的にチャンスに絡む彼のプレーも、
試合終了後の悔しそうな表情も、私はきっと忘れない。

11月27日。 新潟が解雇選手を発表。 大西の名前があった。

12月2日。 天皇杯2回戦の後半から、彼はホーム新潟市営陸上競技場のピッチに立った。
栃木FCを相手に90分で決着がつかず、延長戦へ。
延長前半12分。 新潟の勝利を決めたのは、大西の公式戦初ゴールだった。
ヒーローインタビューで彼は、「最後ですから・・・」と繰り返していたらしい。

翌日の新潟日報には、こう書かれていた。(以下抜粋)

5日前にクラブから戦力外通告を受けた。
しかし大西の心は、すでに8月に引退を決意していた。
大学時代に手術した左足首は、最後まで本調子には戻らなかった。
今季も調子が上向きになっては故障の繰り返し。
抜群のスピードを持ちながら、最後までそれを生かすことはできなかった。
 「百パーセント(の状態)でないと、集中できないんです。
夏ぐらいから今季で終わろうと思っていた」と、
長い間心の中にしまっていたものを打ち明ける大西。
 今後は東京でスタイリストのアシスタントを始め、デザイン関係の仕事の道を歩む。
「いままでお世話になった人たちにありがとうという感じ…」。
きかん気の強いFWは、涙声を聞かれないように最後まで語らずに、ピッチを後にした。


昨年の今頃マリノスから戦力外通告を受けた時、彼はこう話していた。
「足が限界なんだ。プレーに集中できない。」
以前から興味のあったデザイン関係の専門学校に通うことも考えている、とも。
その時私は、とにかく彼にサッカーを続けて欲しいと思った。 実際彼にもそう伝えた。
だから、アルビレックスへの入団が決まった時も本当に喜んだ。

でも・・・もう終わりなんだね。
今後彼のサッカーを見れなくなるのは、今でもすごく辛い。
だけど、怪我を引きずりつつここまでやってきた彼に、
諦めずにチャレンジしてきた彼に、心から「お疲れさま」と言いたい。

あなたはステキな選手でした。
速くて、ドリブルが上手くて、ガッツがあって、明るくて、楽しくて。
あなたのプレーを観るのが、私はとても好きでした。
(キジとじゃれてる姿を見てるのも好きでした)
本当はもっともっと観ていたかったけど・・・少しでも観れたことに感謝したい。
持ち前の明るさとガッツで、これから先も頑張ってください。
大西くんなら、きっとやれるよ。 頑張って!!!

大西昌之という選手を、私は忘ずにいたい。


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英美