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2004年12月29日(水) 「わだは米屋になる(長文注意)」

昨夜は夫が博士課程の学生さん二人を連れてT口家に合流し、夜は酒盛り。昨日まで家に帰りたがっていた坊は遊び相手が出来てこの世の春。全開バリバリではしゃぎまわり、あっけなく沈没。学生さんは「わー郷土料理が食べられるんですねぇ」と期待していたが(多分彼女の頭の中はお芋の煮っころがしとか、山菜とか??)、あいにくT口夫人はあっさり期待を裏切って、朝方仕入れた鮭を使ってチャンチャン焼き。まあ郷土料理だろうけど、ここには北海道関係者は一人もいない。あとは能登の牡蠣を焼いたり、キムチが出たり。お酒も地元のではなくて伏見や灘のものがふんだんに出て、男性陣はつぎつぎと沈没。T口夫人と女子学生さんと私の3人で明け方まで結構ディープに話し込む。女子学生さんは相当飲む人らしい。私のネットで仲良くしている人たちは皆、よく食べて勉強が好きだという話をしたら、ぜひ仲間に入れてください!がんばります!飲み会誘ってください!と言ってきた。だから、飲むんじゃないんだってば(-"-)。

明け方寝て、2〜3時間寝てまた起きる。ちょっと頭が痛いがお酒が上等なせいかあまり残らない感じ。朝食を済ませて、仕事に出かけるT口氏を見送り、車を借りて隣町まで。神社にお参りして、ふもとの造り酒屋に寄る。ここは見かけは昔ながらの造り酒屋だが3年前に中を民芸調のギャラリー風に改装して、元の作家の酒器などもおいてあり、接客も今風。白酒などを振舞ってくれる。この町には有名な酒蔵が2軒あるのだが、もう一つは近代化の波に乗りすぎて東京でも簡単に手に入るし、社屋をビルにしてしまって面白くない。こっちは乗り遅れた分レトロな感じが残って却って良かったが、ちょっと作られすぎという感も否めない。いくつか試飲させてもらって、学生さんたちはお土産に何本か買っていく。実はもう一軒、私たちが住んでいた町内の造り酒屋にも行くことになっていて、T口夫人に電話してもらっていたのだが、こちらは明らかに招かれざる客という感じ。電話のおかげで門前払いを食うこともなかったが、声をかけると奥から事務員が出てきて、特に説明してもらえるわけでもなく、昔ながらの酒屋の所蔵品などを見せてもらい、ここでもお土産に少し買う。電車ではこられなくて、車の人が多いので試飲もしてない。こちらは街道沿いでもないし、いまひとつ試行錯誤中という感じで仕方がない。

いったん荷物を置きにT口家に戻って、またもちつきに出かける。昨日仕入れた知識をさっそくひけらかしながら、山間の道を走る。このあたりの田んぼでとれたお米が私たちの口に入るのだ。さて、作業場では今日もぺったんぺったん盛大に餅をついている。とりあえずおなかでお餅を、じゃなかったお餅でおなかを満たし、農業法人のシャチョーに夫と学生さんたちを紹介する。ここでは自分のところで作ったお米を、さっき見学に行った町内の造り酒屋でお酒にしてもらっているという。いろいろと話し込む。この人は若い頃に1ドル360円で外貨持ち出し制限が500ドルだった時代に、その制限額すら持ち出せずに、貨物船に乗って世界各国を働きながら旅して歩いたそうだ。今でも機会があれば、農業実習等で知り合いになった外国人の国を訪ねたりしている万年青年だが、なんというか「万年青年」臭さ(笑)がなくて、熱心だけど冷静な感じで、話していてとても楽しい。となりでは鍋を作っている。
シャチョーの家を見せてもらう。中規模な百姓の家だとシャチョーは謙遜気味にいうが、このあたりは浄土真宗系(一向宗)で、農民の力が強く、中規模といってもかなりの広さになる。典型的な田字型で、持ち回りで法事を営んだりするためにふすまを取っ払うと何十畳という広間になる。なんと六畳間が狭く見えるのだ。この家は夏を旨として作られていて、夏には夏障子やすだれで涼しげにするそうだ。こうした家は冬は寒いし、維持も大変なので最近ではどんどん取り壊されているというが、シャチョーはこうして取り壊された家ももう1軒分買い取っていて、土地を探して移築するつもりらしい。そしてそれを皆が気楽に集まったりできる宿泊施設にして、都会の人が農業体験をしたり、都会と地元の人が交流できる囲炉裏端のミーティングスペースのようなものを作りたいという。楽しそう。だから学生さんたちも勉強ばっかりしてないで、たまにはこういうところにきて汗を流すといいんだよ、言われるが、言うほど皆勉強してないような…。

戻って程なくすると鍋が出来上がって、一杯食べる。おいしい。今年は熊やいのししが里にたくさん出たので、いのししの肉も入っているというがそれ以外にも鶏や豚やいろいろ入っていたので、よくわからず。さんざ食べて遊ばせてもらってお土産にあんころ餅、のし餅、お米までもらって帰る。ほとんど子供である。とりあえず親しい人たちにお米を配って、せいぜい米の販売先を見つけることにしよう。「わだは米屋になる」と一人つぶやく。
またT口家へ戻って荷造りして空港行きのバスに乗るべくバス停へ。雪がちらついてきた。大体私が去るとその場の天気が崩れることになっているが、今夜からいよいよ雪が本格的に降るらしい。空港につくと東京でも雪が降ったようで飛行機が大幅に遅れている。空港行きのバスは私たちが乗ろうとしていた穴より1つ前のニッコーの出発時間に合わせて到着したのだが、チェックインしたときには1つ前の穴機がまだいた。急いでチェンジすれば乗れたのかー。私たちが乗る便も20分以上の遅延。羽田でも到着後ゲートに着くまでかなり待たされて、予定よりかなり遅くなる。今回はお米、お餅、お酒、などが入っているので余計に重いので、都心までバスに乗り、そこから路線バスに乗り換えるルートを取るが、ちょっと選択を間違えて、重い荷物を持ったままよろよろと歩く羽目になった。いつも思うことだが、羽田から家までが一番遠い。雪はかなり降ったようであちこちが白くなっていた。家に着いたのは9時ごろ。早速T口家にお礼の電話をする。もうかの地も積もっているらしい。

それにしても実りの多い旅行だった。お世話になった方々どうもありがとうございます。


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