おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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日本の「終戦」この日本史上最も暑い日をめぐる日米の思惑を描いた研究書。 日本サイド・アメリカサイドからつき進められていく内容にはドキュメンタリーのような緊迫感が漂う。 大きな問題になるのは「無条件降伏」とは何か?ということだ。うかつにも気づかなかったが歴史上の公式文書において無条件降伏という言葉が登場したのはこの大戦が初めてのことである。(南北戦争でもあったが形だけのものだった)そして日米両者がこの言葉の魔力に振り回されていく。 日本側はこの言葉に「国体」の保証が含まれているのか、知りたいばかりにポツダム宣言発表後の貴重な時間を消費してしまい、鈴木貫太郎首相の口から「黙殺」という「拒否」の言葉が出たように取り違えられていく(実際にignoreという表現を使ったのは秘書官・迫水久常だったらしい)。 そしてアメリカ側は、ルーズヴェルトの急死により、国際政治的にはほとんど未経験といってもいいH.トルーマンが指揮を執るようになり、事実上壊滅し抵抗能力を失っている日本に対して金科玉条のごとく「無条件」を押し通す。本来戦争遂行のスローガンに過ぎなかった「無条件降伏」を戦争の目的に取り違えていくのだ。 この両者の愚考が無駄に戦争を長引かせ、原爆の完成と実戦使用・ソ連の参戦という悲劇を招く時間的ロスを生み出していく。
最もおろかだったのは誰なのか。ローズヴェルトの子分からいきなり超大国の最高指導者になったトルーマンなのか。玉虫色の回答でお茶を濁し、ソ連に講和の仲介を求めた日本指導部なのか。 なににせよ、ひとつの外交用語の解釈が「100万人」の命にかかわっていき、戦後国際社会に現在まで重い影響を与えていることだけは間違いないのだ。
べっきぃ
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