おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2007年04月08日(日) 岩波新書『民権と憲法』読了

 本書で著者の持ち込んだ新機軸は自由民権運動を「政府」対「自由民権派」の対決ではなくそこに「民衆」の立場を別に持ち込んだ三つ巴の対決として捉えた点にあろう。特に自由民権運動の動きと民衆の欲求との食い違いは民衆の「儲ける自由」と「餓える自由」が顕在化する松方財政前後に大きく表面化する。その背景で没落から脱出する唯一の方法として「学歴」が注目されていく。これこそが近代日本の特色といえるだろう。
 筆者は「自由民権運動とは全日本人を巻き込んで「政治のあり方」、しかも「憲法草案」といった基礎中の基礎から自主的かつ積極的に考えさせた「文化大革命」」と捉える。
 しかしその中心人物は地方にあったそれなりの知識層〜いわば「夜明け前」の主人公のような〜に限られているのも現実だった。だが、近代国家形成とは全国民を巻き込まねば成り立たない。全国民に「兵役」という前近代には無かった義務を背負わせるのであるからにはそれなりの飴も必要であり、また自由民権派にとっては兵役の導入は参政権に対する当然の代償と捉えられていた。つまり政府・自由民権派とも民衆の「客分意識」を払拭する点では一致しているのである。
 不平等条約改正に通じる「近代国家」成立は在野・政府問わず、明治知識人共通の悲願であった。そのためには日本を「文明国家」と認めさせるためにスペンサー流の社会ダーウィニズム観が持ち込まれ、領土の確定問題と重なってアイヌ・琉球を劣等国民とする「同化政策」が推進される。そして日本国内に「客分」を認めない自由民権家にとっても、アイヌたちは同化され「国民」意識を持つべき存在であった。ここに多元主義が持ち込まれる余地は無かった。ここに両者の手を握り合った結果の最も醜い形・少数民族の抹殺が進められる。
 この論理・文明観は朝鮮にも持ち込まれ甲申事変・大阪事件にも現れる。(著者は大阪事件の指導論理をフランスの啓蒙思想がアメリカの独立→フランス革命、と影響を与えたように、日本の啓蒙が朝鮮の革命→日本の利権主義達成につながると見る。この視点が正しいのかは勉強不足で不明)
 さらに貧困脱出のために重視された学校は規則への絶対服従を強制することにより国民国家形成・徴兵制予備軍の訓練・近代国民としての型への押し込み、といった大きな役目を果たす。
 すると当然これらの枠組みの外で教育を施す私立学校の位置づけが重要になるのだが、かなしかな、社会資本の貧弱な日本では私立学校は結局公立学校の補助以上にはなりえなかった。
 そして社会ダーウィニズムにくわえ日本独特の論旨として使われるのは「アイヌも琉球も」みな天皇の赤子という一君万民観であった。著者は明治の天皇行幸が国民国家形成に与えた影響も指摘する。
 結局のところ、天皇を唯一絶対の君主とし、教育という機会の平等をもってして「一君万民」の体制を教育する形でしか日本の国民国家形成はなしえなかった。こうして民衆の本当の要望とは違うところで立憲君主国家日本が生まれるのであるが、それが完成するためには国家的危機・日清日露戦争を待たねばならない。果たして両戦争の勃発は国家指導者たちやかつての自由民権運動の闘士たちにはどう映っていたのか。

 日露戦争前の1900年、元勲伊藤博文と自由民権運動の流れを汲む自由党が手を結び立憲政友会を結成したことを幸徳秋水は「自由党への弔文」を掲げて皮肉ったのが正に答えではないか。

 追記.田中正造の提唱する足尾銅山問題について、晩年の勝海舟が極めて的確に(そして勝風に)理解していたのには驚く。流石である。

 追追記.著者は「万世一系」を押し通すためには生物学的に側室の存在は不可欠、と述べる。おそらくは昨今の出産騒動に対する嫌味だろうが。


べっきぃ