おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2007年04月07日(土) 藤村道生『日清戦争』読了

 一言でいうなれば名著。内容もさることながら前書きとまとめにて著者の主張は簡潔にまとめられている。概説書はかくあるべし。

 本書では日清戦争を1945年の日本の敗戦ととらえる50年にわたる「日中戦争」の「第一次戦争」である、ととらえる。
 そして日清戦争の問題点を特に侵略の危機にさらされているわけでもない日本を何の大義名分もない無名の帥にひきこみ、「圧迫された国」から「圧迫する国」に駆り立ててった当時の首脳部とほとんど無批判に盲随していった国民・議会に位置づける。
 さらに自由民権運動の中途半端な終焉により、「国民」ななることに失敗した日本の細民にとって、戦争による愛国心の激昂は格好の憂さ晴らし・国民結集の核となり、条約改正以上の目的を国民に与えることとなる。

 著者は日清戦争を3点から論ずる。
 1.帝国主義列強によるアジア分割以前に「生命線」(もっと露骨に取り分といってもいいが)朝鮮を確保するための戦争
 2.「三国干渉」に代表される中国・韓国をめぐる日本と列強間の間の「戦争に至らない戦争」
 3.特に台湾で顕著に見られた占領地帯の民衆抑圧の戦争

 1.2.は誰もが知るところであるが3.を強調しているところが著者の面目躍如であろう。一般的に台湾支配は成功面のみ語られるのだが、第一の支配段階には大陸戦以上の抵抗を生んでいることを見落としてはならない。
 そして台湾支配の意義をa「南進」の拠点確保 b列強の侵略からの「防衛」c台湾自体の市場・生産地としての価値 に見る。

 本書に描かれる戦争の経緯は、なんの目的も伴わない機会主義的な開戦・軍主導のまま引きずられる政財界・と日中戦争の写し絵のようである。唯一つ、軍の手綱を持っていたのが機会主義を絵にかいたような無能の宰相・近衛文麿でなく、軍を(より個人的には山県有朋を)抑える力を持っていた伊藤博文が指導者の中にいたことくらいか。ここが引き際を決める大きな分かれ目になるのだが。正に戦争ははじめることよりも終わらせることの方が難しい。

 結論をまとめると日清戦争はこの後50年にわたる日本のアジア政策の短所であり雛形であったということである。戦前日本の問題点はここに凝縮しているともいえる。
 
 本年ついにNHKで『坂之上の雲』がドラマ化され、日露戦争後にほんはおかしくなったとする司馬史観が日本を席巻するだろうこの年、この古典的名著が再販されたアンチテーゼとしての意義は大きいのではないか。


べっきぃ