おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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| 2006年11月01日(水) |
丸山真男『「文明論之概略」を読む』読了 |
この2週間の通勤読書で上中下巻を読了。 大学時代は挫折したんだけど、今読むと丸山の解説文は平明で分かりやすい。 後世の「脱亜論」のイメージが強くてどうも福沢は好きでなかったのだが、最近『風雲児達』に登場してきて興味を持ったのが再読の理由。 ポイントとすべきところは色々あるので箇条書き あらゆるものは楯の両面、誉め様もけなしようもある、という福沢が「怨恩」つまり他人に嫉妬するあまり自分のレベルを上げようとは思わず、他人を自分のレベルに引き摺り下ろす感情だけは救いようがない、とするあたりは『福翁自伝』に出てくる長崎遊学時代のエピソードと照らし合わせると興味深い。 福沢の唱える文明の水準とは、一部トップのものではなく社会全体の教養水準にあると考え、明治維新以降ますます知力の中央集権化が進んだことを批判するあたり、一生在野の批評家・教育者として過ごした福沢の面目躍如か。 明治初期の段階で「国体」を論じ、政府と国民を切り分けて検討していったところなど彼の頭の切れ味を感じさせるし、この時代西洋崇拝にも走らず、和魂洋才からも卒業し、「今は」「国家の独立」のために「今は」西洋の文明に学ぶべしとする、西洋文明そのものも相対化しえる骨太の知性はやはり明治最大の知識人というほかはない。 それだけに「今は」脱亜入欧論を作って彼が死んだことは日本のために惜しくてたまらず、彼に対抗できる理性でもってして「国権主義」似た移行できる知性の持ち主の登場は昭和の石橋湛山まで待たねばならなかったのは日本の悲劇であったか。
べっきぃ
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