おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2005年04月13日(水) 「ゆとり教育」について考えたりする

 夕べ仕事帰りに医者に寄った。先日の一軒以来、薬局を変えたわけなのだが同じ薬を処方してもらいながら前の店よりも1000円ほど安い。ありがたいけどなぜ?こういうものって店によって値段が変わるものとは知らなかった。
 
 で、タイトルにある「ゆとり教育」。最近掲示板で色々論争しているので素人の身ながらも私見をここにまとめておきたい。

 結論から言うと現在施行されており、今後見直しが図られている「ゆとり教育」とは「授業時間短縮による詰め込み教育」だったということだ。

 簡単に数字で説明すると、「ゆとり教育」以前の教育では10の時間をかけて10の内容を教えていた。(数字はあくまでも便宜的なもの)
 ところが「ゆとり教育」の実施により土曜の休日化などにより授業時間は8に減った。ところでその時間内で教える内容が8であるならば、結局1時間につき1のことを指導しなければならないことには変わりない。教科指導についてゆとりが生じるためには内容は8未満にならねばならない。
 ところが実際においては8以上の内容を指導することが要求されている。なぜなら最高学府である大学を終えるまでの教育内容が変わりないからだ。「ゆとり教育」を導入するに当たって国家医師試験が優しくなったという話は聞いたことが無いし、医者が勉強しなくなってはこっちの命に関わる。今のは極端な例かもしれないが、結局大学卒業までの教育水準が下げられたわけではない。(いや、結果的には下がっていってるのだが)
 すると大学側の取る選択は二つ。かつてより学習量の少ない学生を受け入れて(なにしろ高校で生物や化学を学んでいない学生が医学部に入れるのだ)足らない分を何とか大学で補うか、それとも少しでも多くの学習を受けた学生を集める、つまり入試問題を難しくするかだ。しかし日本の大学は原則的に研究機関であり教育機関は二義的なところだ。すると大勢は後者に傾くことになる。昔日のように10の教育を受けた学生を望めなくとも責めて9を要求する。

 わが国においては大学進学率が5割近い現状において高校はこれを無視することは出来ない。となれば高校の選択は二つ。受験指導は放棄して業者に委託しまうか(実際、土曜日に校舎を予備校に貸し出し、生徒には高校に支払うのとは別に授業料をとって講義を開講して問題になった高校があった。高校の先生が補習しようという考えはこれっぽっちも思いつかなかったらしい。先生はさぞゆとりを堪能できただろう)、高校の授業で少しでも受験に対応できるようにより多くのことを指導するか。つまり8の時間内で8以上の内容を教えねばならない。仮に8の時間で大学の要求する9の学習を指導するとなると1の時間につき8分の9の内容をこなすことになる。かつてより8分の1つめこみが強化された勘定だ。しかし詰め込むことによって理解は困難になるから学習効率は低下する。そのためには8分の9以上を詰め込む必要が……と悪循環に陥っていり、ディベートや実験などといった本来の効果的な学習が入り込む余地が無くなっていく。

 「ゆとり教育」が破綻したのはつまりはこういうことだ。ゴールの位置をかえられないのに道中を縮めることが出来るはずは無い。結局はどこかに無理を強いるか、職務放棄を生むだけの結果となったのだ。
 
 そもそも「ゆとりを持つことを強制する」ということに矛盾を感じないほうがおかしいのではないか文部官僚。「ゆとれ!」と声高に命令する馬鹿馬鹿しさに今まで気付かなかったのか。もっとも頭悪いから文部官僚にしかなれないんだけどな日本の官僚制度においては。

 追記.昨日もいったけど「ピノコ18歳なのさ」。まあひょっとして(信じられないことに)知らない人がいるかもしれないから一応いっとくと、ピノコは双子の姉の腫瘍から取り出された奇形胎児であるわけで姉の年齢が18歳と。
 あの番組見ている子供が親御さんにそこんとこ質問したらどうするのかね。親御三世代はまずおそらくブラックジャックくらい読んでいるだろうから(正に信じられないことだが俺の同世代にBJ読んでいないどころか手塚治虫を知らない人がいる!)そこら辺、BJが「恐怖コミック」だった時代の話をどう説明するだろうか。なんか俺だったら嬉嬉と説明しそうな自分が容易に想像できてちょっちイヤ。
 


べっきぃ