無責任賛歌
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| 2006年11月17日(金) |
『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」九日目/発表会本番! |
今回のワークショップ参加、もちろん職場には明かしていない。 興味があって来てくれる人がいるとも思えないし、何かのセミナーみたいなものにかぶれているのかと誤解されようものなら業腹だし、何より、遊ぶ余裕があっていいですねえとか、皮肉を言われるのがいやだったからだ。 そんなことを言いそうな陰険な同僚もいるのである。
仕事をサボっているわけではないが、発表会に出るためには今日は早退するしかなく、そのためにここ数日、勤務中は食事もろくに取らずに仕事に集中していた。 ワークショップでの神経疲労も重なってだろう、もう三日ほど私は便秘で、その上、胃液だけの嘔吐を繰り返している。
とりあえずの仕事を午前中で片付けて、JRに飛び乗ったのが1時56分。 ホームで「電車が10分遅れます」のアナウンスに、一瞬、血が上りそうになった。 冷静に考えれば、通し稽古は3時からだから、電車が10分程度遅れようと、まだ充分時間に余裕はあるのだが、逸る気持ちが、わずか10分の遅れを苛立たせてしまうのである。 こういう心理はよくない、と自分を落ち着かせようと胸をなでる。
博多駅で地下鉄に乗り変えて、天神へ。イムズホールに到着したのが2時25分。 ポスターが貼られていたのに気付いたが、私がかなり大きく写っていたので、思わず引いてしまった。昨年に比べて少しは痩せた気でいたが、そうでもない(笑)。 客観的に自分の姿を見る機会が少ないので、どうもこれが自分だという自覚がしにくい。私の演技が上達しないのも、自分のことがよく分かっていないせいだろう。
喉がいがらっぽくなっていることに気付くが、喉スプレーを持ってくるのを忘れた。無理してあと6時間を通すしかない。
午前10時からの練習は始まっている。
舞台は、ちょうどしげ。たちのシーンを演じているところだった。 しげ。は、前回北九州ワークショップの時に演じた「キャサリン」と同じ衣装を着ている。チャイハネで買った、アジアのどこの国とも知れないピンクでど派手なシルクっぽいブラウスである。 髪型は私の「森田さんと同じにしてみたら?」という意見で、チョンマゲ風。しげ。は森田さんほどに髪が長くはないので、きちんとしたマゲにはならずに、『げんしけん』のオギウエのようになっている。 着替えるのが面倒くさいしげ。は、この格好のままで電車に乗ってきているのだ。どう言えばいいものか、と思うが、あたまのおかしなやつには何を言ってもムダであることは先刻承知なので、特に何も言わない。
驚いたことに、舞台上でしげ。はまた「キャサリン」と呼ばれている。キャサリンはあくまで前回のキャラクターであって、今回は全く別のキャラだ。出演者たちが打ち合わせてそうしたのかもしれないが、これは明らかに違和感がある。 案の定、森田さんの「キャサリンはやめてね」の声が掛かり、「じゅんこ」に変更になる。 あとで聞いたら、これはしげ。も知らない、相手役のいきなりのアドリブだったそうだ。多分、しげ。が北九州参加者の誰かから「キャサリン、キャサリン」と呼ばれているのを聞いて、ふと思い付いたのだろう。 つまらない駄洒落を飛ばすオヤジのように、つい空気を読めない悪ふざけをしてしまうのも博多人の特徴のようなものだ。 「やりすぎたらちゃんと抑えるから、ともかく引いたりしないで前に出るようにやってみてね」とは森田さんの指示だが、現実にいくらでも前に出たがる博多人が多くて、森田さんは内心、「博多ってどんな土地だ」と驚いていたのではないだろうか。
3時を回る前に、区切れもなく、通し稽古が開始される。 昨日、ようやく上演の組み合わせが決まったばかりで、殆ど練習らしい練習もしていない。 それどころか、われわれのチームなどは、四人のうち、二人が公演時間には間に合わず、6時半からの一回目の公演には代役を立てなければならない事態になっている。 我々が与えられているのは、「家族」という設定、「夫婦喧嘩をすること」という指示くらいのもので、これは殆どぶっつけ本番に等しい。 これはどのグループも同じで、イッセー尾形&森田雄三という意地悪爺さんコンビは、本気で我々シロウトに、ナマの舞台で即興芝居を演じさせようとしているのだ。 これまでにもこのワークショップには二度参加してきているが、一番長い日程を組んでいながら、ここまで全くと言っていいほど直接的な練習をせずに本舞台を迎えるのは初めてである。
「稽古らしい稽古なんてしてないんだからね。お芝居はいりません。声だけがほしいんです。声を作って!」 各グループへのダメ出しは、殆どその点に集中する。 「今回は、二段構えで行きますから。まずは家族で喧嘩をしていると。これは必ず調子が落ちてきますから、そこでイッセーさんがやってきます」 けれども、イッセーさんがどの時点で入ってきて、何をするのかは一切知らされない。 時間はもう、わずか三時間しかなく、イッセーさんはやはり練習には参加せず、各グループの展開をただ眺めているだけである。 いったい何を企んでいるのか。
私たちのチームは全部で四人、親子三人に親戚のおばちゃん(祖母の妹)という構成である。 そのうち、妻役のKさんは、開演に間に合わないはずが、何とか休みを取って駆けつけてくれた。これで代役は一人ですむことになった。 そのTさんの代わりに、一回目の公演に子供役で参加してくれるのは、北九州公演でも一緒だったセイノさん。本気で舞台女優を目指していて、地元の劇団に所属している。 練習の合間にも、「自分が客観的にどう見えるか知りたい」と言って、「私はどんな風に見えますか?」と聞いてきて、メモを取っていた。 「一見、幼いけれども、芯に強そうなものは持っている感じかな。首を前に突き出す癖があるのが、何となく天然キャラっぽい」と、あまり誉めずに(笑)見たまんまの印象を伝える。 こういうときにへたなお世辞が何の意味もないことは私にも分かる。
全体の構成が発表されたが、ここで困った事態が起きた。 セイノさんがもともと出演するシーンだったおばあちゃん役のシーンと、私たちとのシーンと、発表順が連続することになったのだ。着替えの時間が取れない。 急遽、順番を入れ替えることになって、私たちの出番は三番目から四番目にずれることになった。 時間的な問題は解決したが、着替えをどこでするか、ということになって、セイノさんが森田さんに「脇で着替えていいですか?」と聞き、「ダメです。楽屋まで行きなさい」とピシャッと言われる。口調が厳しいので、セイノさん少し堪えてはいないかと心配になった。 声をかけると、「大丈夫です。この役はやりたいと思ってましたから」と元気に答える。
時間がなくて、これまでの日記ではあまり書いては来られなかったが、今回、森田さんにダメ出しをされ、どうしたらいいか分からなくなって、泣いたり逃亡を図ろうとした参加者の方は結構多い。 それを周囲の誰かが励まし、「一緒にやろう」と肩を抱いてきた。それまで殆ど会ったこともない人間同士が、わずか一週間でそういう間柄になってしまっている。
そうなのである。 うまくできなかった時、普通のワークショップや演劇の練習なら、「あいつ、いつまでヘマをやってるんだ」と、非難の目で見られることの方が普通だろう。 その視線の矢が突き刺さるために、失敗が続くと、自分がみなの足を引っ張っているという罪悪感が弥増すことになってしまう。 ところがこのワークショップには、その視線の矢が全くないのだ。セリフが出てこなくて進行が滞っても、溜息一つ漏れはしない。みんなが舞台を見て、心の中で「頑張れ、頑張れ」と応援しているのだ。
どうしてそんな状況が生まれるのだろう。 理由は多分こうだ。 みんながシロウトで、みんなが下手糞で、みんながダメ人間で、みんなが同じ立場だから、誰も誰かを傷つけようとはしないのだ。 すぐに喋りだせる人、時間のかかる人、多少の能力差はあるかもしれないが、それは人としての差では決してない。そのことに、みんなが気付いているのだ。
怒鳴られ貶され、散々罵倒されているのに、逆にそれが人と人との絆を深めていっている。 不思議な光景だが、これが森田さんの計算し意図していることなのだろうと思う。
舞台に森田さんの怒声が響く。 本番直前となって、去年のように椅子を叩きこそしないものの、森田さんのダメ出しは辛辣さを増していく。
「はい、そこで立つ!」 「喋るな! あんたのセリフはつまらないんだから、黙ってればいいの」 「動かない! ……もういい。椅子に座ってられないなら、もう、あんたは前に出てなさい」 「声を作って!」
これだけのことを言われながら、どうしてみな、腹を立て、逃げ出そうとはしないのだろう。
通し稽古を見ながら、私は昨日のある風景を思い出していた。 やはり参加者のある女性が、辛さのあまりだろう、「本番は来ません」と言いだした。 その女性はもう何度もこのワークショップに参加してきているのだが、声が小さく、なかなかキャラクターを作ることができない。一見、暗めな外見なので、練習中に森田さんに「貧乏神」とあだ名をつけられてしまった。 若い女性にしてみれば、とても耐えられないと感じてもおかしくない言われようだ。 昨日の練習にも遅れてきていたので、彼女はまだ組み合わせも決まっていなかった。 「もう出てもみなさんの足を引っ張るだけだから」とか細い声で言う。それを私や周囲のみんなで「何言ってんの!」と叱咤する。 やはり何度も泣いて、一日バックレたこともあるオチ婦長ことあきこさんが、「私はどうなるのよ!」とどやしつける。 私は私で、「今を逃したら来年はないかもよ! 森田の爺さん、死んでるかもしれないし、イッセーさん、撃たれてるかもしれないから」ととんでもないことを言う(とんでもないことを言われてるんだから、これくらい言い返してもよかろう。でも、聞かれてないことを祈る)。
彼女は結局、最後のシーンに出演することになった。 今日作られたばかりのチラシに、そのシーンのタイトルが書かれてあったが、それは『貧乏神』だった。
通し稽古の最後のころには、早いお客さんもやってきている。 その中に、父もいた。父が私が舞台に立っているのを見に来たのは、多分、小学生のころ、学校で落語をやった時以来のことだろう。 「何も食べとらん」と言うので、しげ。がおにぎりを無理やり持たせた。 練習中、おにぎりや弁当などの差し入れが結構あったのは、このワークショップが今年から、「芸術文化振興金助成事業」の一つに選ばれたからかもしれない。
本番第一回目の時間が近づき、稽古は終了、みんながメイクを始める。 私は特に森田さんから何も言われなかったので、スッピンだ。けれども、日曜日という設定なので、髪に寝癖くらいはつけようと髪を掻き上げたら、水木しげるの『悪魔くん』みたいになった。 これは舞台で相方のKさんから「キューピー頭」と呼ばれることになる。若い方であるから、当然、『悪魔くん』なんて知らないのだろう。 しげ。を稽古で「キャサリン」と呼んだ件の男性の方は、眉を〔クレヨンしんちゃん〕のように太くして、イッセーさんに「やりすぎ」とダメ出しをされた。 この時点でも、イッセーさんが我々にどう絡むのか、全く分からない。 入場の仕方の練習すらしていないのである。
そして、時間が来た。 客席はもともと少なめであったが、ちょっと覗いてみると集まっているのは五、六十人ほどだろうか。イッセーさんの一人芝居ほどに宣伝はしていないので、こんなものだろうと思う(あとで森田清子さんが「もっと人に見てもらいたかったのに申し訳ない」と謝られていたが、充分だと思う)。 スタッフの岡田さん作曲の、軽快だけれど少しばかり切なさの混じるテーマソングが流れ始め、何の段取りもなく、我々は舞台の前にズラリと並び、座った。
前説で、イッセーさんが、「『社宅祭り』の参加者を募集します」と挨拶する。 ここは、三池炭鉱・華やかなりしころの長屋式の社宅で(イメージが湧かない人は映画『フラガール』を思い浮かべてください)、今は高度経済成長真っ只中、「わが野間産業も社名がなんたらコーポレーションと変わりまして、これからはチャックのこともファスナーと言わねばなりません」と調子よく時代背景を説明する。
イッセーさんが退場し、舞台は暗転。 最初の「家族」が、「縁側」から「家の中」に上がって行く。 この時必ず、客席側、遠くを見るようにと指示を出していた。社宅の向こうではバーベキューパーティーを開いていて、その家を社宅のみんなは羨ましがっているという設定である。
プログラムをざっと紹介しよう。 今回の発表会は、以下の「家族九景」から成り立っている(●はイッセーさん出演。解説はみな森田さん執筆)。
1、インテリ母さん● 年寄りのわがままに付き合う子供達
2、馬耳東風● ほろ酔い加減のお父さんは奥さんの暴言もBGM 3、怒るが勝ち● お祭りだけが楽しみなお父さん 博多に買い物に出るのが楽しみな子供達
4、買うて買うて!● 子供のわがまま声だけが響いて山河あり
5、不登校兼暴力息子 わがままを通り越した仲の良さ
6、隣の奥さん ばあちゃんの泣き笑いが一家の平和
7、お祭り好きなお父さん● 女達の金遣いの荒さにお父さんは否応なく小市民となる
8、都会から来た嫁● 夫婦喧嘩に口出ししない年寄りの知恵
9、貧乏神● バラバラ万歳!
ワークショップ当初、「発表会まで出られる参加者は20人くらい」と言われていたのだが、テレビでの効果もあったのだろう。 最終的に舞台に立ったのは38人に上った。 練習に参加しただけの人も含めれば、50人は優に越えていたと思う。
私の出番は4番、しげ。は7番だ。 イッセーさんがこれだけたくさん芝居に絡んでくるのも珍しい。北九州では前説以外には一切絡まなかった。 そこにどういう違いがあるのかは私にはよく分からない。案外理由は「適当」だったりするのかもしれない。 けれども、北九州の時とはっきりした違いは、お客さんの反応の方にあった。 一つ一つのシーンが終わるたびに、かなり大きな拍手が起きるのだ。
それがシーンとシーンとの間がはっきり分かれているためであることは分かる。 北九州のときはそれが曖昧な部分が多く、暗転そのものが少なかったので、「拍手のしどころ」がなかった。 しかし、博多での拍手は、暗転による機会的な拍手だけではないように私には感じられた。暗転してもつまらなければ拍手する必要もないはずだからである。
即興芝居を行うに当たって、「『とっさ力』を発揮してよ、相撲を取ってよ」と森田さんは仰った。 しかし、本番の舞台になっても、それがうまく発揮できているとは言いがたい局面が多々現れる。
イッセーさんが乱入した途端に、「沈黙」が舞台に流れてしまう。舞台上のシロウト集団は、何の準備もしていないのだ。 それが「緊急事態」であることは、お客さんにも伝わったことだろう。 演劇を「完成度」で見るならば、これは既に演劇ではない。けれども、お客さんは確実に舞台の上で何が起きるのかと引き込まれている。上手いか下手かを越えた緊張感が漂う。 こんな緊張感は、どんなに名演技を披露しようとも、劇団四季には絶対に出せないものだ。自画自賛ではなく、客観的に他の仲間たちの舞台を見てそう思う。
そこにあるのは、仮構された芝居ではなく、本当に見知らぬ人間がいきなり闖入してきた時に我々が感じる「現実」なのだ。
「ここから先が大事なんだよ、困ったあと、沈黙するか、前に出るか、ただ引くか、いったん引いてもう一度、同じことを繰り返すか」 森田さんの声が脳裏を去来した。
1番の家族は沈黙した。 2番の家族は巻き返そうとしていじられた。 3番の家族は果敢に前に出た。 そして4番の家族である我々は……。
みんな、対応が違う。 それがよかったのか悪かったのか。
1回めの公演が終了して、わずか30分の合間にホールの隅で森田さんのダメ出しが始まる。 心臓がまだ早鐘のように鳴っていて、落ち着かない。 椅子に座る時、手もたれに思い切り尻をぶつけた。隣にいた高校生の女の子に笑われた。 正直、森田さんがどんなことを喋っていたのか、あまり耳には入っていない。 「セリフが重なりすぎていて、間が悪かった」とは言われた。もちろん、セリフを途中でやめるのがもっといけないのは散々言われてきているので、それだけはしなかった結果である。ベターではあったが、もう少しベストに近づけろ、ということだろう。 段取りの段階では立つつもりはなかったのに、思わず立ってしまったことについては、何も言われなかった。
よかったのか悪かったのか。
(翌日に続く)
2004年11月17日(水) Everybody "moe"Somebody 2002年11月17日(日) 爆走�Α秦管堯崗錙弩従櫃世辰�(^_^;)/『柳生十兵衛死す』4・5巻(山田風太郎・石川賢)/『巨人獣』1・2巻(石川球太)ほか 2001年11月17日(土) 多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話 2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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