無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月27日(土) ボンカレークラシック/映画『キャンドルシュー セント・エドモンドの秘宝』

 『ウルトラマンマックス』第九話「龍の恋人」(伝説怪龍ナツノメリュウ登場)。
 伝説怪獣の復活という、定番中の定番を扱ってるってのに、どうしてこうも「穴」が生まれちゃうかな。
 田舎に観光ホテルを建設するために、土地開発を行い、龍の祠を壊してしまったことが伝説怪獣を蘇らせてしまったというのは設定としてはあまりに古臭い。古臭くても普通に脚本を書いて演出すればそこそこの出来になるはずなのだが、やっぱりトホホな描写が散見してしまうのである。
 開発推進派の村長の息子が、客寄せのためにハリボテの龍まで作って演出したりするのだが、だったら祠も壊さずに見世物にしちまえばいいのである。ホテルとかで祠をそのまま中に移したりしてるとこ、結構あるぞ。このあたりの流れがもうムリヤリ。
 で、DUSHでそのハリボテの龍の映像を解析して、「動きがツクリモノです」って言うんだけど、だったらあとで出てくる本物のナツノメリュウも作りもんだと解析されちゃうと思うが。もっともこれはどうにも解決のしようがない瑕だけれどもね。
 これまた定番で「謎の少女」が現れて「龍は悪くないわ!」とか言っちゃうのだが、祠一つ壊されただけで怒り狂って村を焼け野原にしちゃうような怪獣なら、充分悪玉だと思うがな。そもそもこの龍が「村の守り神」だと証明する描写が一切ないから、少女の主張に説得力が生まれないのである。
 ご都合主義的な展開が多すぎるが、それは脚本家にディテールを積み重ねて行く実力がないせいである。もっと厳しいことを言えば人間をきちんと描こうとする意志に欠けているせいである。例えば、ラストで少女の母がペンダントの中の写真をカイトに見せるシーンの不自然さだ。どこの世界にいきなり死んだ自分の娘を「ほれ見ろ」とばかりに見せる親がおるかい。キテるんか、こいつは、としか思われないぞ。これはカイトの方から、「よかったら、写真を見せてくれませんか?」と聞くのが自然だろう。
 そろそろちゃんとした脚本家、監督でエピソードを綴ってくれないと、また客離れを起こすんじゃないかと思う。


 報道を追いかけるようにして書いてきた駒大苫小牧高校の暴力事件、高野連の処分は予想通り殆ど「無罪放免」に近いものだった。
 審議会では、加害者である部長が「一定期間の謹慎」、報告の遅れた野球部については「警告」という結果が上申され、続く臨時運営委員会では、「指導者の行為の責任を選手に負わせるのは適当でない」という理由で、優勝を取り消さないことも決定された。
 温情判決、というよりは、「これしかできなかった」というのが正直なところで、こんな「隠蔽工作」が行われるとは高野連にとっては全くの想定外だったのである。だから、それを処分する規約ももともと存在していない。問題の「脅迫」を行った教頭については、高野連は何の手出しもできていない。これは高野連にとっては「苦渋の判決」だったのであって、「妥当な処分」と判断するのは大間違いなのである。
 いくら高野連が「不祥事があった場合には早期報告を」と喚起しても、「生徒に関わらない限り、学校側の暴力、隠蔽は『警告』で終わり」という前例ができてしまったのである。教員が生徒にどんな暴力を振るってもバレなきゃオッケー、バレてもたいした罪にもならないということになってしまった。これで喜んでいられないのは「生徒」の方なんだが、全国の野球部員たちはそこに気付いてるのかね。
 優勝取り消しまではしないにしても、もうちょっと厳しい処分ができなかったものかと悔やまれる結果である。あとは全国の野球部と学校が、それぞれの「良心」に従って、問題が生じれば報告するようになることに期待するしかないけど、難しいよな。今回の事件は、「バレなきゃいい」の発想がもう全国の学校関係者に蔓延してしまっていて、どうにもメスの入れようがない状態になっていることが確認されただけだ。事件の再発を防ぐ方法は、「正直に言えば罪一等を減ずる」「バレたときは罪をムチャクチャ重くする」しかないのだが、その方法はハッキリと断たれてしまった。今後も、こういう事件は続くだろうし、うまく「隠しおおせる」学校もあることだろう。
 せめてなあ、北海道教育庁が校長、教頭の降格くらいはしてくれることを期待するしかないけどさあ、もうここで結末が付いたって世間は判断しているだろうから、彼らの責任が追求されることもなく、ウヤムヤになっちゃうんじゃないかなあ。単純に「よかったよかった」なんてことは言えないのである。


 「ボンカレー」と言えば、私たちの世代は女優の松山容子さん(『めくらのお市』)の写真のパッケージが印象深い。つか、松山さんが「動いている」CMだって見てたんだからなあ。もう40年くらい昔だよ。今の二重丸だかなんだかの味気のないやつは、まるでボンカレーってイメージじゃないのだ。
 松山さんは昭和50年代になると半引退状態になってしまったので、クイズ番組などで「あの『ボンカレー』の写真の女の人は誰?」なんて問題がよく出されていたものだったが、たとえ時代が移り変わっても、一度刷り込まれたイメージは、やはりその商品の財産なのだから、せめて裏側に残すとか、何か措置を取ってほしかったものである。
 今度、「ボンカレークラシック」が新商品として売り出されることになったそうだが、久しぶりに「人」がパッケージに起用されることになったそうである。松山容子に代わって松坂慶子ってのは「松」繋がりなのかなあ、だったら松田聖子とか松たか子とか松島トモ子って可能性もあったのかなあ、松田聖子だと食ってるこっちが取って食われそうだし、松たか子はまだ若くて奥さん風じゃないし、松島トモ子は写真見ただけでコワくなるし、松坂慶子は妥当なところかなあ、とか下らんことを考えた。
 でも「クラシック」と名づけるなら、やっぱり松山さんの写真を使って、「この人誰?」と若いお客さんの首を傾げさせるくらいの茶目っ気はあってもよかったんじゃないかなと思うのである。


 CSディズニーチャンネルで映画『キャンドルシュー セント・エドモンドの秘宝』。
 隠れた名作というものは実際にはあまり隠れていなくて好事家の間では有名だったりするものだが、これはもう、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないという傑作なのである。
 かく言う私も、まだWOWOWがJSBであった十数年前、日本未公開のこの映画が『セント・エドモンドの秘宝』のタイトルで初放映されたとき、原作者の「マイケル・イネス」の名前を見て、ぶっ飛んだ記憶がある。なんとこれ、『ハムレット復讐せよ』の名探偵アプルビイ警部シリーズで有名なイネスの、“唯一の”映画化作品だったのだ。
 本国イギリスでは50冊以上の著作があるイネスだが、わが国に紹介されているのはせいぜい5、6冊、通なミステリファンの間でも、イネスファンってのはあまり聞いたことがない。かく言う私も白状すれば『ハムレット』を読んだのは三十代になってからだ。
 そういう関係で、この映画の原作である『Christmas at Candleshoe』 も未訳である。だから「唯一の」映画化作品だって言うのに! 

 LAのダウンタウンに住む不良娘ケイシー・ブラウン(ジョディ・フォスター)を訪ねて、いかにも怪しげな詐欺師・バンデージ(レオ・マッカーン)がやって来る。バンデージは、ケイシーをはるばるイギリスの片田舎にまで連れて行った。そこには行方不明になった孫娘を待ち続けるセント・エドモンド夫人(ヘレン・ヘイズ)が“キャンドルシュー”と呼ばれる屋敷に住んでいた。バンデージはケイシーをその孫娘に仕立て上げ、屋敷のどこかに隠されているという財宝を捜し出そうというのだった。
 屋敷には執事プライオリ(デヴィッド・ニーヴン)の他に、夫人が引き取った孤児たち4人、、クルーニー、ピーター、アンナ、ボビーがいる。得意のハッタリで自分をホンモノの娘と思い込ませたケイシーは、金貨の謎を追って捜索を始めるが、ひょんなことからこの屋敷が極度の財政難に陥っている事を知ってしまう……。
 
 この原作を映像化するためにディズニーが集めたキャストがものすごい名優揃いである。
 まず主役のケイシーを演じるのがティーン・エイジャーだったころのジョディ・フォスター。もちろん、『タクシー・ドライバー』『ダウンタウン物語』などで、天才子役なんて言葉ではとても括りきれない名演を披露していたあとの出演である。フォスターは少女時代の一時期、激太りしていたこともあったのだが、15歳だったこのころには幾分スッキリしてきていて、かなりアクションもこなして(吹き替えかもしれないが)小生意気なケイシーを好演している。
 脇を固めるのは、『ピンクの豹』『007/カジノ・ロワイヤル』『名探偵登場』のデヴィッド・ニーブンに、『追想』『探偵スヌープ姉妹』『ミス・マープル』のヘレン・ヘイズ。ラッフルズやファントムを演じた「怪盗俳優」のニーブンと、「お婆ちゃん探偵」が持ち役のヘイズが共演、という図式が面白い。
 「イギリス風味」を出すのに、ニーブンは必要不可欠なキャストである。「執事」はいかにもな役だが、キャンドルシューがジリ貧なのをヘイズに気付かれまいと、“既に辞めさせてしまった”運転手、庭師、更にはヘイズの友人の「大佐」までを変装して演じる。まるでアレック・ギネスか片岡千恵蔵だが、ニーブンはいかにも楽しそうだ。もちろん「見りゃ一発で同一人物って分かっちゃうじゃん」であるのだが、そこは言いっこなし。馬に乗れないのにムリヤリ乗せられて、茂みの向こうで落馬して、馬だけが走って出て来るというギャグは『七人の侍』のパクリだけれども、まあこれも許しちゃおう。
 ヘイズは『追想』で演じた皇太后をセルフ・パロディにしたような役どころ。フォスターが「アナスタシア」に当たるわけだね。ニーブンとの大広間でのダンスシーンも『追想』を髣髴とさせるが、ファミリー映画だと思ってこの映画を見に来たオトナのお客さんへのこれはサービスだろう。ここで、ヘイズが実はニーブンの一人四役にちゃんと気づいていたことも明かされる。本映画中、一番「粋」なシーンだ。尺が短いのは仕方がないが、このあたりはもっと情感を込めて撮影して欲しかった。
 そして、愛しのレオ・マッカーン! 『怪獣ウラン』の、『ピーター・セラーズのマ☆ウ☆ス』の、『新シャーロック・ホームズ/おかしな弟の大冒険』の、そして何よりも『プリズナー��.6』最多出演「��.2」役の、あのマッカーンである。その大兵肥満の体をゆすって笑う、強欲だけれどもやっぱりどこか抜けてるところのある悪役ぶりは、マッカーンの独擅場である。この人が出てくるだけで映画のランクが一つ上がるように見えてしまうから不思議だ。ニーブンとの「傘対斧」の対決に続く、フェンシング対決、槍対決と“意味もなく”エスカレートしていくおかしさは、実際に映画を見て確かめていただくほかはない。
 悲しいことに、ニーブンもヘイズもマッカーンも既に鬼籍の人である。

 お話自体はジュブナイルであるために、ミステリとしての骨格は弱く、案外あっさりと財宝が見つかったりして、物足りなさを感じはするのだが、これはまあイギリス風の人を食ったファルスとしての味わいを楽しむのが主眼だろう。
 そのあたりの「イギリスらしさ」は随所に現れていて、何より、フォスターが最後まで「ニセモノ」のままなのがいい。普通のディズニー映画のセオリーに従えば、最後は「実はニセモノと思わせといてホンモノの孫」ってご都合主義で終わらせてしまいかねなかったところである。
 ラストで「本物の孫が見つかったらどうする?」というフォスターの問いかけに、ヘイズが「ここにいるわ」と答えるのが実にいい幕切れである。これは原作にもあったセリフなのだろうか。
 ミステリファンでイネス原作の映画があったことを知らず、ディズニーファンでこんな実写映画があったことを知らず、ジョディ・フォスターファンで彼女にこんな少女時代があったことを知らないといった、いろんな意味で知られていないことがもったいない映画である。

2004年08月27日(金) 『ガンダム・ジ・オリジン』は正しい!
2003年08月27日(水) つらいことばかりでもないと思うけど/『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(江戸川乱歩)/『人生とはなんだ 旅と恋編』(藤臣柊子)
2001年08月27日(月) ノンマルトの後裔/映画『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』ほか
2000年08月27日(日) 自動車とはケンカしないように



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