無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年08月27日(水) つらいことばかりでもないと思うけど/『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(江戸川乱歩)/『人生とはなんだ 旅と恋編』(藤臣柊子)

 今日でまた仕事をひと区切りにして、明日から4連休である。
 有休使ってだから誰に恥じることもないのだが、芝居に行くためだと思うとちょっと心が痛むのである(^_^;)。休日に行きたかったけど、しげと時間の都合が合わなかったんだよ。
 でも休んでるのは私だけではなくてほかにも結構いたので、「仕事をヒトに任せて自分だけ遊んだりして」という罪悪感はちょっと晴れるのであった。でも、ウチの職場、こんなに人が休んで大丈夫なのか?

 午前中で今日の分の仕事が全部片付いたので、午後は若い子何人かと駄弁る。というつもりだったのだが、なぜか流れがマジメな話になる。最近いろんな事件が多いねえってとこから、死刑制度の是非にまで。
 回りを気にせずに喋ってるから、言葉は相当過激になっちゃってるのだが、殆どの子の意見は「犯した罪は償うべき」というマットウなもの。ここでその言葉の過激さを云々するのは木を見て森を見ず、と言ったところだろう。
 ただまあ、意見が一本化しちゃうと何かアンチテーゼを投げこんじゃいたくなるのが私の悪いクセで、「もしも冤罪だったら?」とか、「情状酌量も一切廃止したほうがいいのかな?」とか突っ込むと、途端にみんな沈黙する。根性ねえなあ(~_~;)。
 でも実際の私は死刑廃止には反対で(^o^)、死刑制度には立派な犯罪抑止力があると思っている。冤罪の可能性ったって、例えば宅間守のケースなんかそんな可能性は探しようもない。情状酌量については事件の性質によっては必要だとは思うが、安易に連発されてる印象はぬぐえない。実質無罪って場合も多いからなあ。けどまあ、そういうモロモロのことを何も考えずにただ「死刑にしてしまえ」という言質が横行してしまう状況はやはり空恐ろしい。
 なんかねー、「攻撃しても心が痛まない」相手を見つけたらここぞとばかりに責めたてるようなイヤラシサっつーかね、みんな日頃からそんなに鬱屈が溜まってるの? と言いたい気がしてくるのである。溜まってんだろうなあ。


 江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(光文社文庫/920円)。
 『怪人二十面相』との合本。乱歩作品は大方のものは大学の頃くらいまででほぼ全作を読んでいると思うが、全集発刊を機に、ちょっと全作読み返してみようと思ったのである。というのも、これまで刊行された全集、文庫の類はいずれも削除、改訂が施されたものが殆どで、初出の表現が随分カットされている。それはこの日記でも折りに触れ、語ってきたことだ。時代に合わせた改訂とは言え、作品は本来その時代の空気を共有しているものである。少年探偵団の創立者・羽柴壮二くんは学習院初等科に通っていなければならぬし、明智小五郎は満州国政府の依頼を受けて新京に出張中でなければならぬのである(念のために言っておくが、私は作品の持つ普遍性を否定したいわけではない)。
 それにしても、この「満州国の事件」、どんな事件だったのかなあ。
 『大暗室』は細部を随分忘れていたので、初めて読むような新鮮さがあった。初読のときには中村警部も登場し、文中に明智の名前まで出ているのに、明智が登場しないのはどうしてだと思っていたけれど、多分、最初は登場させる腹案もあったけれど、正義の使徒・有明友之助と悪の権化・大曾根龍次の一騎撃ちに明智の登場は不協和音にしかならないと判断したのかもしれない。
 意外にこの作品の映像化は少ないが、『大暗室』の描写が『パノラマ島綺譚』とイメージがダブるからだろう。東京の地下帝国、というイメージは結構好きなんだけどな。


 マンガ、藤臣柊子『人生とはなんだ 旅と恋編』(双葉文庫・550円)。
 「旅編」は「美味いモンばかり食ってんなー、うらやましー」ってな気分になるので飛ばし読み。
 「恋編」は余裕があるので(^o^)じっくり読む。
 藤臣さんのオトモダチ? たちの恋愛ばなしがなかなか壮絶で、女房に暴力の限りを尽くされて離婚したのに、また同じ女性と再婚した話とか……。まあ常識的に考えれば「なんでやねん」ということになるのだろうが、男と女の仲ほど常識の通用しないものはない。藤臣さん自身もご本人のココロの病気がもとで、ご主人(知ってる人は知ってるが、本書では名前を明かしてないので、ここには書きません)とお別れになっているのだが、この文庫に収録されてるのは殆どが結婚前、新婚の時期のものなので、読んでて痛々しい。「いいことばっかなんて絶対ないけどふたり暮らしは幸せだよ」って、多分、離婚した今も藤臣さんのこの考え方って変わってはいないのだ。なんかなー、こういう不可効力で離婚したカップルってのは本人同士に責がないだけに慰めようがないしねー。いや、別に私ゃ慰める立場になんぞないのだが。
 男と女は、男と女ってだけでトラブルのタネを抱えてるようなものである。更に二人を結ぶカラダとココロは、時間とともに必ず変質する。身もフタもない言い方だが、カラダはお互いジイさんバアさんになるし、ココロは段々磨耗して、相手に飽きて来る。藤臣さんは「だから努力が大切」と語るが、人間、努力ほど嫌いなものはないんだよね(^_^;)。つか、恋人時代にたいていその努力のためのエネルギーは使い果たしているのだ。そうなるとあとには「夫が○○をしてくれない」「妻が○○をしてくれない」という不満が積もるばかりということになる。離婚はもう目の前だ。
 こないだよしひと嬢とも話してたんだが、「結婚すれば疲れる」ことを前提としてない夫婦ってあまりにも多過ぎるんじゃないか。つか、甘く見てる。「ダメになったら離婚すればいーやー」と最初から軽く考えてとりあえずくっついてみたってんなら離婚したって構わないだろうが、一章添い遂げようって考えてんなら、もちっとそのために何をしなきゃならんかってことを考えなきゃならんのじゃないか。
 ウチの場合に話を移すが、とりあえず10年ちょっと、我々夫婦の仲が持ってきたのは、僥倖の部分が大きいと思う。お互いの不満に対して腹を立て続けるには私はあまりに体力がないし、しげには記憶力がないのだ。マイナスとマイナスが掛け合わさってプラスになってるってのは、実に平仄が合ってるなあ(^_^;)。
 もちろん、我々夫婦の形が正しいあり方だなんて主張するつもりは毛頭ない。念を押すが、夫婦の形にスタンダードなどはないのである。恋愛論の類の本は多いけれど、「あの夫婦に比べてウチはどうして」なんて思わない方がいいと思うよ。

2001年08月27日(月) ノンマルトの後裔/映画『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』ほか
2000年08月27日(日) 自動車とはケンカしないように



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