無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記




ホームページ |プロフィール |掲示板「トーキング・ヘッド」 |メール
|藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2004年09月26日(日) To be or not....../竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻

 朝方、起きぬけのしげがなんだかベソかいたような顔をしている。
 なんだまた鬱か、と思ったらそうではなくて、「オレ、茶碗割ったかもしんない」と言って、真っ二つに割れた茶碗を持ってくきた。
 「なんか、足がゴリゴリするなあ、と思ったら、割れてた」
 「……そりゃ確実に割ってんだよ」
 しげの寝相はかなり悪いのだが、特にその足の破壊力ときらまさに悪魔的と形容するほかはなく、私も何度となく被害に遭っているのである。つか、足元の茶碗くらい片付けてから寝ろよ。
 うちにある茶碗だの皿だの、食器類がわじわと減ってきていて、気が付いたらカレー皿やら小振りのどんぶりやらは、今や一人分しかない。私一人のときにはここまで茶碗割ったことはないのになあ。またそのうち百円ショップで皿とか買わにゃならないなあ。うちじゃあ食器の新陳代謝はしょっちゅうなのに、どうしてしげの脳みそは新陳代謝してくれないのだろうか(注・しげのに限らず人間の脳みそは新陳代謝しません)。


 しげはひと足先に芝居の練習。私はカメの日光浴と、水換え。
 ひところ元気のなかった竜宮亀太郎も、エサを生き餌に変えてから前にも増して食欲旺盛になって、自分よりも2倍弱はデカくなった玄武をモノともせずにその上に乗っかり、エサを食らっている。でも食い方がドヘタくそで、噛んだエサがすぐに口の中からポロポロこぼれるのである。だもんで私は日に一回くらい、しかも少量しかエサをやらないようにしているのだが、しげは「亀キライ」とか言ってるくせに、スキを見てはすぐに水面いっぱいに広がるくらいに餌をばらまくのである。
 「だってこいつら、ちょっと顔近づけただけで『エサ?エサ?』って思ってバタ狂うんだもん」としげは言うのだが、だからって大量にやったら、結局は食い残してしまうのである。しばらく経つとそれが下に沈殿して、糞と混じって腐敗する。これですぐ水が濁っちゃうんだよなあ。「部屋の中がカメ臭くなる」って文句言ってるくせに、そうしてる一番の原因はしげにあるのである。
 本当は、日光浴は毎日させてやりたいし、水換えも三日に一度はしたいんだけど、しげはそういう協力はする気ないのな。させても水槽割るからさせないけど。


 午後から練習に参加。今日の出席者は、桜雅嬢、加藤君、鴉丸嬢、其ノ他君、穂稀嬢。
 昨日のことがあったので、果してしげをこのまま使っていいものかどうか、演技の様子を見てみたが、殆ど上達していない。歩き方から「普通に歩く」ことができないのだから、これはかなり重傷である。
 普通、人は足を前に出すとき、カカトから真っ直ぐ降ろしていくものだが、しげはガニまたで、足のウラをほぼ平面にぺったんぺったんと降ろしていくのである。幼児かペンギンの歩き方を想像していただければよかろうか、みっともないと言うか滑稽だと言うか、ともかく、こんな珍妙な歩き方では、演じる役柄がどうしても限定されてしまう。シリー・ウォークじゃないんだから。
 この十年ずっと、「歩き方がヘンだ、演技にならないから矯正しろ」と言い続けてたのだが、しげは全く改善しようとしなかった。「やってみたけどうまくいかん」ということならともかくも、「普通に歩くとキツい」とか言ってすぐやめてしまうのだから、どんなにエラそうなことを言っても、しげには本気で芝居をする気がないのだ、と断定せざるを得ないのである。キャスト変更したいものの、ともかく人材がいない。はっきり言っちゃえば、ある人くらいしか代役ができる人はいないのである。しかし、「しげの代役なんだけど」と言えば、恐らくは固持されるのは想像がつくのである。となると客演を頼むしかないが、いきなりの主役を依頼できるものでもない。にっちもさっちもいかないのである。
 鴉丸嬢からは夕べ電話があって、事情を説明したのだが、「しげさんくらい、芝居のこと考えてる人はいないよ」という返事だった。そんなことは分かっているのである。考えてることを「表現」できないからアタマを抱えているのだ。
 「演技の才能とは何か?」というのは実はすごく簡単で、「自分の表現が他者からどのように見られているかを客観的に把握できる」ということである。つまりは「鏡を見ろ」ということなのだが、しげは全然鏡を見ようとしない。
 ではしげに演技の才能が全くないかというとそうではなくて、「恥を知らない」がゆえに、「これはできない」という役は基本的にはないのである。これは本来、演技者としては相当な「強み」になるはずなのだが、努力が全く伴わなかった。この十年、直観だけで芝居をしてきたツケがここに来てしげのクビを締めているのである。
 加藤君、其ノ他君にも、このままでいいのかどうか聞いてみたのだが、「構わない」ということであった。
 「いつ『鬱』が来るかわかんないよ? いいかな、それでも?」
 「そのときはなんとかします」
 其ノ他君がそういうからには、これは口先だけではない。何かあったら本当になんとかするだろう。となれば、私にはもう何も言うことはない。しげの芝居が形になろうがなるまいが、このまま行くしかないのである。


 桜雅、穂稀両嬢は先に退出、残ったメンバーで何となくの流れでカラオケに。カラオケ自体も随分久しぶりだが、加藤君が歌うのを聞くのも今回が初めてである。と言っても日本全国、オタクの歌いっぷりはみんな同じで、アニソン歌えばみんな絶叫するのである。でも声のノビが実にいい。これが演技の時の発声に生かせてないのが残念なくらいだ(^o^)。しげと交互に戦隊ものなんか歌いまくって、盛りあがること。
 このメンバーだと全く酒が入らないので、歌いながら乱れてクダ巻いたり、つまんねえオヤジギャグ飛ばしたり、マイク持って離さないようなマナー知らずなやつもおらず、安心して歌えてありがたいのだが、最初に『誰がために』とか絶叫系をリクエストされて、調子に乗ってそんなのばっかし歌ったおかげで、一時間足らずでもう声が出なくなった。其ノ他君の『アニメタル』に合わせて歌ってたときにはもう声がカスレ状態である。明日が仕事じゃなくてホンニよかった(^_^;)。
 帰宅したらもうヘロヘロ。日記も付けずに寝る。


 マンガ、星里もちる『ルナハイツ』3巻。
 少年マンガ描いてたころと違って、最近は時々混じってくる殺伐としたネタがなんだか神経に障る(やりすぎると柳沢きみおになっちゃうからなあ)。今回も怪文書バラまく同僚がいたり、まどりに言い寄る後輩に南條が異常なほど嫉妬心を抱いたり、「作り過ぎ」ていてどこかいやらしい。それでもギリギリ「読める」のは、のほほんとした重さんがいるおかげではなかろうか。この人も今巻ではちょっとだけ殺伐入ってたけど。

 野間美由紀『新・パズルゲーム☆はいすくーる』2巻。
 掲載誌が変わったせいで、タテ広告のスペースを使っての作者のダベリングコーナーがなくなっちゃったのがちょっとサビシイ。話は相変わらず他愛無いし、トリックと言えるほどのものはないけれど(「春巻き」とかねえ。)、まあ、ムリして作ってないだけ微笑ましい。かと言って過大評価は禁物でミステリ好きには勧められないけど。

 竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻(完結)。
 あんまり売れ行きよくなかったんで打ち切りだそうな。それでも7巻まで続いたのは竹本さんにしては長期連載なんだけれど。イーナスが美人系じゃなくてカワイイ系だったら、あと3巻は続いてたかな。いや、それより竹本さんのSFが今ひとつ受けないというのは残念でならないのだ。「女神能力」なんてアイデア、そうそう思いつける人いないぞ。ただ女の子どうしがキスしまくるだけのマンガじゃないんだってば。


 『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガンが24日、心臓疾患のため死去。享年69。
 『悲しみ』は今ベストセラーになってたら絶対『かなこん』とか省略されちゃうんだろうな。小説も読んだし映画も見たことは確実なんだけれども、かなり昔なんで、もうおおざっぱな筋しか覚えてない。映画は原作に忠実だったって記憶があるけれども、ホントにそうだったろうか? ファザコンな少女がヤモメな父の新恋人を事故に見せかけて殺すって話だったから、見ようによってはこれもミステリーである。今だったら特にショッキングな物語でもないけれども、当時大ヒットしたのは、それがやはり「18歳の少女」によって書かれた(しかも美少女)という事実が、話題をスキャンダラスなまでに大きくした要因だったろう。
 ただ、そう言いきってしまうと、じゃあサガンは「年齢のせいだけで」売れたのかって勘違いされてしまいかねないのだが、必ずしもそうではなかったのではないかと思う。小説自体ウロオボエの私が言い切っちゃうのは多少乱暴ではあるのだが、「つまんなかった」という記憶はないので、充分内容を伴ったものだったろう、と推測しているのである。
 ではサガンは綿矢りさのルーツなのかってことになるけれども、『蹴りたい背中』のように、読んではみたけど、改めて大の大人がああだこうだと語り合うにはどこか気恥ずかしく感じる雰囲気ってのはサガンにはなかった。綿矢りさは「現象」だけれども、サガンは「事件」だった。だからかつては女子学生が「サガンを片手に歩く」というのがステイタスたりえたのである。残念ながら日本の女流作家で、たとえ作品が読まれてはいても、そのような形でステイタスたりえた作家はまだいない。いったいサガンの「何が」ほかの作家たちと違っていたのだろうか。
 それはヌーヴェル・バーグの雰囲気を直接的には知らない私には、これこれこうとうまく説明はできないし、個人主義がどうのこうのと、マコトシヤカなウソを並べたてる気はないのだけれど、『悲しみ』が「少女」という存在を、圧倒的な「強者」として成立させた、という点だけは間違いない事実だと思うのである。その「思想」は換骨奪胎されて、日本の「少女マンガ」にも受け継がれた。少女が主導権を握る時代を予見したということで、サガンは少女マンガ家たちの心のルーツでもあるのである。

2003年09月26日(金) 真剣に死刑/『ワイド版 風雲児たち』16巻(みなもと太郎)/『サトラレ』5巻(佐藤マコト)
2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか
2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)