終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2011年12月02日(金)

『人は幸せになれない。
 愛するひとに愛されても幸せになれない。
 愛してほしいように愛してもらわなければ幸せにはなれない。
 それであなたと私の間に愛し方愛され方における齟齬があったとしても、
 私はあなたと愛について話し合っていたいのです。
 一つの夢について話し合うように』



上記はちょっとした言葉遊び。
それで何が言いたいかというかというと、えーと。
「愛してほしいように愛してもらわなければ」というのはわかりきったことだ。つまりMでもなければドSな愛され方をしてもドン引きするだけだし、週に三日焼き魚が食べたいひとが毎日ラーメン出されてもうんちょっとね…ってなるっていうこと。愛するストライクゾーンはわりにみんな自覚しているけど、愛されストライクゾーンはみんな無意識だよね。でもこれってけっこう大事。どれで愛し愛されストライクゾーンってわりにみんな違うんじゃないかな。私なんか特にそう思うんだけど、ものっそ偏食。アニメでいうとエヴァなにそれガンダム?はァ?特撮なにそれバカにしてんの?毎週毎週同じことやるってどういうつもり?みたいな感じです。ホラ、いらぁってした?した?したでしょ?まぁそんな感じにけっこうみんな嫌いな人より好きな人に苛々させられてるよね。そうだよね?もうやめようこういう書き方。
 お互いがお互いのストライクゾーンにこだわりすぎていたら、多分、家族でも友人でも恋人でも、結局ギスギスギスギスするだけで終わる。だけどそういうときにもうちょっと立ち止まって考えてみようよ。ラーメンもいいカレーもいい焼き魚もいい。でもちょっと待ってよ、それって一緒に食べるあなたがいてこそだよね。一人で食べたらラーメンもカレーもみんなおいしくないよね。だから立ち止まって、そうしてあなたとわたし顔を見合わせて「おいしいね?」「一緒にごはん食べれるって幸せだね」って言ってみよう。たぶんそれだけで、嫌いな焼き魚もちょっとおいしくなって、この世界で得られる幸せの総合ポイントがアップするからさ。

なんていうのはキレイ事で、結局ひとは自分の範疇で生きて死ぬものだ。だから琴瑟相和すなんてのはどっちかがものっすごい無理をしなければなりたたない。それならそれでいいじゃない。ありえないならいいじゃない。無理をする必要はなくて、ただそれを夢として、ひとつの美しい夢として互いに語り合えばいい。ありえたかもしれずありえるかもしれないひとつの夢として。



この流れでいくと、瀬戸内はお互い妄想文書で文交わしてたら面白い。伊達さんところはあまりにも現実的すぎて夢物語になる余地がない。


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