- 2011年12月28日(水) なんでこうバタバタするんだろう、と遠い目になってみる。 まあほら、怠け者の節句働き、って言うじゃない。 そういえばついったで呟いてみたことのまとめと補足。 DQ8で書きつくそうとしたのは結局、神と破戒者マルチェロの対決と和解の可能性だった。ククールやオディロはその倍音として存在したに過ぎない。 ではばさらはどうか。 小十郎という本質として人間の枠からはみ出した男と、これを幼時から世界としてこなければならなかった政宗との、切羽詰まった、しかも逃げ場のないやりとりだ(恋愛かどうかはどうでもいい)。政宗を焦点とするならば、人生に二つの生き方をした男の深淵だ。 元就についていうなら善悪をよく知りながら己の悪の限りを尽くした男であり、元親と重ねるなら互いにまったく埒外にありながら、無視するか滅ぼしあうまで仇敵となるかの二択となる関係。尼子とはこれとは逆で、殺し合いだましあい競い合う仲でありながら常に主役ではない。 -
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