- 2008年09月07日(日) ケーフ・ジュヌーン ケーフ・ジュヌーン、魔の山と呼ばれるいびつな真っ黒い岩山のあたりに四駆車はさしかかった。激しい陽光に焼かれて黒く酸化した表層が固くガラスのようにもろくなった岩々が累々と続く谷間を抜けた先のことだった。 あたりには木々といってなく、ひょろひょろとした水分のなさそうな細い草もない。岩と、瓦礫と、一滴の水も含んでいない、渇いた大気。私は車を止めて、外に出た。真昼の陽光は真っ向から額に落ちかかった。この地の太陽は慈愛あふれる温帯のそれではない。ひとを殺し獣を殺す鋼の刃の類に属する。足元のがれきは火星のそれのように焼けていた。 私は目を細めて魔の山を見上げた。黒い頂は、岩塊が風化し崩れたものだろう、無数のぎざぎざと尖った塔のように見えた。その塔には胸壁があり橋がかかっているようにさえ見えた。古代のジェルマンテス人が築いた城の廃墟だといっても信じただろう。だが有史以来だれひとり、誰ひとりこの山に登ったことなどありはしなかった。なぜならこれは魔の山だ。 ケーフ・ジュヌーン、名付けたのはアフリカ大陸の内陸部を行き交う隊商だ。ローマに先立ち、サハラの広大な荒野をオアシス伝いに東西につなぐ街道をおりなした人々だ。黒い肌の痩せた背の高い人々がそのかみ、白い肌の一つ神信ずる人々がそののち。 伝説のひとつはいう、その山にはジンが棲む。通りかかる旅人があれば怪しい声で惑わし、岩陰に散らして迷わせる。定まった形を持たないジンだが、ときには人を脅かすために、路傍に投げ捨てられた驢馬の頭ともなり、あるいは風にさまよう奇妙な獣ともなると。駱駝に乗って眠ったまま立ち入るものあれば夢に忍びこんで心狂わすと、だからそこでは起きていなければならぬと。 私はしばらくあたりを歩いた。あまりの熱さに岩の砕ける音がときどきぴしっと聞こえるよりほか、聞こえるものはなにもなかった。耳が痛むほどの静寂であった。あまりの耳鳴りは次第に強まり、しまいに魔の山そのものが鳴り響いているのかとさえ思われた。 風はどこへ行ってしまったのだろう? 絶え間なく流れすべてを過去にする風は。かくも静かな身じろぎもしない玻璃のごとき空気の中では、すべてはそこに立ち止まり静止のうちに反響し続けざるをえぬ。そして太陽はあまりに強く、無限の過去のその底までもが浮かび上がってくる。さながら深い、深い井戸の底をさえ、夏至の日の太陽の光が照らし出すよう。揺らめきつつしかも微動だにせぬ陽炎は無限の過去から無限の未来を映す鏡であった。このごとき鏡は重なり重なって無限に連なり、それゆえわたしはわたしの周囲に永遠と無限、すなわち単に今とここを見た。 さよう、世の始まりの日から終わりの日まで、そこはそのようであるのだった。そのことによって今日の日は永遠とひとしいのであった。 魔の山、あのうち続く黒い山並みのなか、いびつな黒い岩山が、ひときわ高くそそり立っている。あの日も、またきょうの日も。月が昇ろうとまた闇に閉ざされようと、人の目のあろうとまたなかろうと。ああした沈黙がこの世界のどこかにあるのなら、おとぎ話の魔物たちもまだ生き延びられるだろう。そして私も。ひととは住まぬ、このわたしも。 -
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