- 2008年05月13日(火) 猫について 私はたくさんの猫を飼っているらしい。 このはなはだ曖昧な表現をどうか許していただきたい。 そもそも猫を飼うとはどういうことなのか、というと、 これは犬を飼うというのとはまるで違う。 犬を飼うとは、心を寄せあうことだ。 それは悦びに満ちた献身であり、義務を伴う約束であり、 相互に与え奪うという意味では愛でさえある。 社会生活の中に数えられるような関係といってもいい。 それはときには重く、しかもその重さを愛することを求める紐帯だ。 だが猫を飼うというのは、これとはまったく違うことだ。 もちろん、これもひとつの愛には違いない。 だが猫は缶詰や煮干し以外の物を求めはしないし、 その代わりに我々に献身や忠誠を捧げようともしない。 かれらはときどき、私たちの家にさえ住まなかったりもする。 さてそこで私は自問する。猫を飼うとはどういうことだろうと。 それは実際、とてつもなく複雑怪奇な営みではないのかと。 それとも極めて幻想に近いのではないかと。 犬を飼うような意味では私は猫を飼ってはいない。 そして犬を飼うように猫を飼っている人はいないだろう。 猫は猫を飼うように飼わねばならないのだ。 そして猫を飼うというのは、たぶん、猫を飼っていると信じることなのだ。 ではどうだろう、同じようにしてこんなことは信じられないだろうか。 百匹の猫を飼っているとか、千匹の猫を飼っているのだとか、 それどころかすべての猫は自分が飼っているとか。 もちろんそういうことを信じるには訓練が必要だ。 だが一匹の猫を飼うのと基本は同じことだから、 結局のところ、それは不可能ではないに違いない。 まだいまはあやふやな形容詞が必要だが、そのうちそれも取れる。 そのとき、私はこう言うことができるだろう、 わたしはすべての猫を飼っている。 -
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