終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年05月09日(金)

見世物小屋で切符売りの男が

「100人いる」と言った。
さてそれで、わたしは「おお」と思ったのだった。

なぜ「おお」なのか。

100人というのはひとつのマスだ。
街を歩いているだけで100人ぐらいにはすぐ行き合わせるだろう。
渋谷や新宿、東京駅ならもっと多いかもしれない。
でも、そのとき「100人」と意識しているだろうか。
人の顔を見るように、そのマスの外貌を見ているだろうか。
その大きさ、その質感を理解しているだろうか。
していない。

そしてまた「100人いる」といったときに、何を思い浮かべるだろう。
100人。個々ということはできない。そこで見せるのは100人というマスだ。
思い出や、希望や夢や愛から切り離されマスとなったもの、
人間が個々という側面をはぎとられたとき、それはなんだろう。
確かに、単なる群衆ではないに違いない。以上か以下かは知らないが。
そんなものを、これまで見たことはなかったので、


私は小屋に入ることにして、男から切符を買った。



以上が昨日みた夢である。中のことは覚えていない。
妙といえば妙な夢だとは思わないか?
…と思ったら微熱。オマイガッ、またそのオチか。今度は何の知恵熱だ。


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