- 2008年05月08日(木) 群れ飛ぶ翼 夜半にうたたねして見た夢のことを書いてみよう。 うたたねは長いものではなかった。せいぜい、時計の秒針が一回りするくらいのものだったろう。だが夢の時間は眠りの長短には左右されないものだ。それとも、物語の王国の法規、最も新しい物語でも最古のできごとを語ることができるというあの寛大な法規に準じるのかもしれない。 いずれにしせよ夢のなか、わたしは長いあいだ立っていた。たぶん、一世紀かそこらも立っていたに違いない。雨が降っていた。そこは膝まで水のある沼地か浅い湖で、降る雨に水面は毛羽立っていた。少しはなれたところから水中木の木立が始まっており、それら小暗い木々は陰鬱に、輪郭の曖昧な灰色の影を落として雨の中に立っていた。 わたしは空を見上げていた。わかっていたのだ、わたしは待っていた。ずっと待っていた。天には見えない渡り鳥、すきとおった翼の群が、無限の層をなして地表に近いところから星々の息吹のするところまで埋め尽くしていた。それは地上にあって忘れられた夢やなされなかった約束、破れた愛といった雑多ものからなる群で、それぞれが己が持ち主を見出そうと、もう長い、ながい間迷い飛んでいるのだった。 この国では、それともこの夢では、だれかが所有することのなくなったそうしたものたちはそのように飛んで行くのだった。あるいは行き場がなくてそのようにさまようのだった。わたしは一度、ファナとネフェルティティの悲しみがすきとおった悲鳴を上げながら、つがいのように木立を抜けていくのを見たことがある。 翼たちはほとんどがごく透明で、あるいはほんのり淡く色づいているのみで、目に見ることは難しかった。だがわたしや、その国の、あるいはその夢の住人はしばしばそのようにしてそうした翼を空に放っているのだし、人の死に際にはまるで巣を荒らされた小鳥が飛び立つように翼たちはいっせいに飛び立っていく。だからこの夢では、空は常に暗く、翼に満ちている。 わたしは待っていたのだといわなかったろうか。そう、わたしは待っていたのだ。ひとつの翼、わたしだけのものであり、それ以外のものではないひとつの翼を待っていたのだ。それはなにか、なにか夢のうちの一つの夢であり、忘れてはならないものだったはずなのだ。握りしめたこの手から、はからずも飛び立ってしまったひとつの翼だったのだ。 夢の中でわたしは翼を待っていた。一世紀かそこら、ずっと待っていたに違いない。そして未来永劫待っているのだ。夢見るものであるこのわたしが死んで朽ちても。わたしはそう宣言する。なぜなら、物語と夢の言葉はたしかに永遠について語ることができるからだ。 -
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