終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年03月25日(火)

怯えたような気前のよさは、要するに低すぎる自尊心か

幸福な育ち方をしてこなかった心美しく裕福な美貌のヒロインが、
まさにそのゆえに破滅していく、という映画を見ていてふと思った。

彼女が破滅したのは、実は男のせいではない。
心美しくても破滅しない女はたくさんいるからそのせいでもない。
裕福で美貌でも破滅しない女はたくさんいるからそのせいでもない。
では結局、彼女の破滅のもとは彼女の低すぎる自尊心だろう。

自分を人形のように扱うことを許すというのは実際、そうだ。
自分自身を「まっとうに」扱われるべき存在と思っていないということだ。
「ここの勘定は全部持つわ」と言って尊敬されるか軽蔑とされるか。
それはつまりパトロネスとしての態度という自覚によるものか、
それとも「それくらいはしないといけない」という精神的奴隷であるか。
その違いだ。人はそうしたことについての嗅覚は鋭いものだ。
そしてつけこむという点において人は狼と大差ない。誰でも。

ドラッグについてもそれは言える。
使えばどうなるか、知識として知らぬ人はあるまい。
廃人同様となる未来を仮にも想定するなら、拒絶するよりほかはない。
だが使う人はそうした未来をどこかで、自らにふさわしい運命として
受け入れ、もしくは求めているように思う。


…嫌なことを思い出す映画だった。


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