終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年03月18日(火)

『ノーカントリー』

老保安官エド(トミー・リー・ジョーンズ)に猫を飼う老人は言う。
かれが誰だか説明はされない。
「失ったものを取り戻そうとしてより多くを失う。
 できるのは出血を止めることだけだ」
風の音が響いている。
テキサスの荒野に吹く風の音が響いている。
この言葉はその風の言葉だ。


殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)の異様さばかりが喧伝されるが、
彼が獲得したのがアカデミー助演男優賞だということを忘れないでほしい。
つまり主役はほかにいる。ではそれは誰か。見ればわかる。
保安官エドでも逃げる男モスでもない。荒野をゆく風だ。
登場人物たちはこの風の中を歩き、走り、逃げ、殺し、従い、抗い、死ぬ。
音楽はほとんど鳴らない。風はときに控え目に、ときに激しく鳴る。
そうだ、ルールはいらない。風はルールを持たない。
死は死、生は生、そして忘れられたものは永遠に忘れられたまま。
例えば一枚のコインが運命を分け、そしてそれはそれだけのこと。
人が荒んだのではない。たぶん、この風が人の血に混じったのだ。

死体がやたら転がる映画だが、最近珍しいほど演出が控え目だ。
それがまた、映画そのものに鋭い陰影を与えている。
乾ききった骨のような質感と1980年代という脂っこい時空間。
コーエン兄弟の作品を見なければ、と思った。



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