終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年03月12日(水)

復讐とはなにか

ヴェンデッタについては

「ヴェンデッタは自己満足の一種だ。
 おまえがわたしの息子を殺した。わたしがおまえの息子を殺した。
 だから我々はここに座っていられる、そういうわけさ」

そんなことをイタリアマフィアが言っていたと記憶している。

だがどうだろう。

「苦しんだり、復讐を考えることはやめなさい。
 そして人生のもっと良い面に目を向けなさい」

これはNマンデラの言だが、じっさいこれはどうだろう。
躊躇せず、我が子を殺された人に対して言うことができるだろうか。
許すとは、憎しみをいかに処理するかとは、難しい問題ではないだろうか。
つまりそれは失った愛の裏返しでもあるのだから。

復讐という概念に接したのは10歳のときに読んだベルヌ「海底ニ万里」。
ネモ艦長の殺戮と、失われた家族と祖国への思慕の相克の激しさ。
「わたしには権利があるのだ、わたしこそ正義なのだ!」かれはいう。
じつにそれは恐るべき論理だが、けして絶えることのない叫びでもある。
しかしながらかれの人間性はその冷酷な結果に耐えられない。
かれは苦しむ。とはいえそこはフィクションで、実際にはそうでもない。

実際のところは! テロリストはひとつの病だ。
そして心というものは、1つより多くの病を入れられるほど大きくない。
だからロマンチックな憂鬱などというものはかれらにはない。
かれらにあるのは失敗への不安だけだ。

ヴェンデッタ、まったく。ヴェンデッタ。
誰もがイタリア・マフィアのようにふるまえたらいいのだが。
実際のところ、問題は感情と理性、それぞれの論理の違いにある。
このダブル・スタンダートの不条理をどうして誰も言わないのか。


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