終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年01月12日(土)

 夜半、アル・シムーンは与えられた部屋を抜けだし、回廊を通って、城壁の上まで歩いて行った。そもそもこの遠征の初めから、心地よい眠りはかれを見放していたが、この夜はいっそう心ふさぎ、四方を壁に囲まれた寝室の中にとどまっていることができなかったのだった。
 アル・シムーンは城壁の一角、半ば崩れた塔の、らせん階段を上っていった。かれの足取りはその心の抱える秘密のためにいっそう重かった。かれの愛しかれの仕える女将軍、皇帝の娘の峻烈な心とわずかな慈悲も蔵さない鋼のような意志は、成功を約束せられたこの遠征の途上にあってかれを苛んでいたのだ。そうとも、この遠征が終われば、ヴォードワンの王国が滅びたならば、王女は返す刀で帝国そのものを滅ぼすだろう。それは火を見るよりも明らかで、しかもとどめるすべはかれにはなかった。
「俺にはわからぬ」
 アル・シムーンは食いしばった歯の間がら呟いた。
「たしかに、御母君は非業の死を遂げられた。姫はたしかに、たしかに心苦しまれたであろうとも。だが、ためにこの国を滅ぼされるなどとは」
 風がぼうとして吹きすさび、アル・シムーンの頭から被布をさらって、城壁の下になげうった。乱れた髪を抑え、アル・シムーンは闇をのぞきこんだ。闇、まさに深い闇だった。深淵にはひとつの光もなかった。かれの心がそのときそうであったように。
「わからぬ、それこそ狂気の沙汰だ」
「…さてこそ」
 ふいに、声が耳に届いた。それは近くもあり、また遠くもある声だった。アル・シムーンは素早く周囲を見回したが、誰ひとりいる様子はなかった。
「さてこそ、愚かはおまえよ」
 再び声は聞こえた。アル・シムーンは壁に身を押しつけて後ずさった。だが声の主は見えぬまま、声ばかり続いた。
「狂気とな? 狂気といわば、あれには人の世のすべてがそれ。王位とな、国とな、城とな、戦とな? あれにはそもすべてが狂気。しあれば父の国を滅ぼすこともまた、狂気のひとつに過ぎぬ」
「誰ぞ」
「おまえには見えぬ。おまえに近すぎるゆえ見えぬ」
「物の怪か」
「違いない、死霊の類よ」
「おのれ、たぶらかすか」
 アル・シムーンは刀を抜き払った。だが斬るべきなにも見えぬ。
「運命ぞ、運命ぞ。いまさらじゃ、なべては俺の望んだこと、おまえの望んだこと。アル・シムーン、今さらじゃ。あれは人ではない。人にと望んだは我らの狂気であった。天の風をこの腕に捉えることを望んだは我らの狂気であった。大海をこの手の間に抱きとることを望んだは我らの狂気であった。すべては遅い」
 声はそれぎり失せた。アル・シムーンはやがて声の主の探索を諦めたが、その声の告げたことは忘れられはしなかった。心のうちに針で書かれたように。


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