- 2007年12月27日(木) 帰省について 実家に帰り、犬を連れて冬枯れた雑林を歩いていると、 東京でのことは長い長い散歩のインターバルに過ぎないような気がする。 わたしは常にこの途上にあったのではないかとさえ思えてくる。 とはいえ連れる犬はもはや私の犬ではない。 この美しい、強健で頑固なシェパードの雌犬はきわめて賢く 意志の疎通が確かに存在しているという手ごたえがある。 だが私の犬ではない。彼女もおそらくそれを理解している。 私たちは並んで、だがきわめてよそよそしく歩いてゆく。 時間は容赦なく、昨日はどんなにしても取り返しがつかない。 おまえが死んでから、もう何年が過ぎたのだ。 おまえが死んでから、おまえが死んでから。 一匹の犬が連れていける限りのものを連れて行ってから。 黒い小さな子犬だったおまえ。 母犬の腹に鼻を押しつけ、目もあかなかったおまえ。 拾い上げた私の掌の上で、小さな鳴き声を漏らしていたおまえ。 自転車のかごに乗せられて、不安な顔でわたしをみあげたおまえ。 知恵を絞っては脱走し、見つかれば悪びれずに尾を振ったおまえ。 ブラシをかけられながら、おとなしく坐っていたおまえ。 長い、長い散歩を、わたしたちはどれだけ重ねただろう。 人間を愛するようにではなく、恋人を愛するようにではなく、 親や友人を愛するようにではなく、私はおまえを愛している。 この愛は深く、また死ぬことがなく、うすれることがなく、 おまえの不在は、帰還のつどいやまし私を苦しめる。 この悲傷は、いつか私の帰省を不可能にさえするだろうと思う。 この悲傷は、癌のようにわたしをむしばみ、いつか殺すだろうと思う。 年老いて洗い漱がれたように呆け、父母の名さえ忘れても、 この悲傷だけは、わたしのうちになおも巣くい続けるだろうと思う。 -
|
|