終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年12月24日(月)

クリスマスを好きか嫌いかと問われると

ともにすごすべき家族も恋人も、また依るべき信仰もない身では、
街のにぎわいがいささかかしましいね、とでも答えるよりほかにない。

べつに、あてつけて「臨終図巻」を読んでいるわけじゃない。
ただ、いわくこの聖夜、孤独であることが幸いだと思う。
最近とみに人間嫌いの度が増しているからかもしれないが
そもそも私は子供のころからこの世にも人間にも縁がなかった。
もっとも縁がないのが自分自身だったが。

これはべつに、気取っているわけではない。
幼時、わたしは私の意志にかかわらず転居を繰り返し、
世界は紙芝居さながら勝手に様相を変えた。
同時にわたしなるものもいろいろと勝手に変っていった。
愛され憎まれ疎んじられ、優等生だったり問題児だったり。
紙芝居の中の役どころを追うのはじつに面倒で、そのうちそれもやめた。
すべては私の努力や希望とは縁のないところで起きた。

すべてはわたしとは無縁だった。今でもそうだ。
あえてこうした立場を選んでいるのではないかと問われれば
あるいはそうかもしれぬと答えてもみよう。
何も望まず、すべてと無縁でいれば、人生はやりすごせるだろう。
実際、わたしが望んでいるのはそれだけだ。
やりすごすこと、誰にも関らぬこと、わけても自分自身には。
死がどのように来るのかは知らないが、それもまたやり過ごせるだろう。
苦痛に満ちたものなら苦しもう、そうでないならそれなりに。それだけだ。

誰もわたしに愛情を期待してはいけない。
そんなものはどこにもない。あると思うならそれは紙芝居の書き割りだ。
それがあるように見せかけることはできる。だが本当はない。
私の生活には私はいない。それは私とは無縁の紙芝居だ。
私はどこにいるのか。それは誰で、いったい何を願っていたのか。
それが誰で何を願っていたのしろ、空に上って鳥になるよりほかなかった。
そんなものは誰にも届かず、空に上って鳥にでもなるよりほかなかった。


 おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
 煥発する都会の夜々の燈火を後に、おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
 そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
               中原中也「四行詩」


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