終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年10月02日(火)

 その日の午後はひどくのろのろと過ぎていった。前夜、柳屋から出た足で駆け付けてみれば、祐介にはもう客がついたところだという。是非にと頼み込んだが通るわけもないのは知っていた。窓辺でしばらく、聞き覚えのある三味線の音色を聞きながら立ってはいたが、さあその音色が途絶えてみれば、いま二階でなにが行われているのかを思って平静でいられず、逃げるようにして屋敷に帰ったのだ。
 あれはほんとうに祐介だったのだ、と、西園寺はもう何度目か、障子の桟を見つめながら声に出さずに呟いた。顔を見た瞬間から疑いもしなかったが、だがほんとうにそうだったとわかったうえではまた異なるものだ。
「言ってやりてェことは、やまほどあるが…」
 きちんと沿った月代をぼり、と掻いて、西園寺は嘆息する。あれはほんとうに本当のことだったのだろうか。あの夜は、たとえば世話になった旦那を喜ばせようとした三味線弾きの心遣いに過ぎなかったのではなかったか。だからこそ、借金のかたに茶屋に売られるはめになっても助けひとつ求めもしなかったのではないのか。そして己もまたそうと思っていたからこそ江戸市中を探し回りもせず、ただ日常を積み重ねていたのではなかったか。再会のときにどちらも何も告げなかったのはそうしたことのせいではないのか。花街に誠などあるわけもないと誰もが言うではないか。
 ひとを疑い己を疑い、そして障子の桟に落ちる影はゆっくりと、ほとんど永遠にも思えるほどゆっくりと移って行く。

 だが影は深まり、ぼんぼりに火は入って、夜は来た。西園寺は茶屋の暖簾をくぐり、主の丁重な挨拶に迎えられた。
「どうぞ、お楽しみあそばして」
 一分二朱、渡した金子は紫の袱紗に包まれて消え、西園寺は案内の少年のあとについて階段を上っていった。ふと格子越しに外を見れば、月は山の端にかかっている。
「あのゥ、旦那さま」
 先を行く少年に呼びかけられて、西園寺は足を止めた。十二三ほどだろう、好きな客ならたまらないような色の白い肌をした少年だった。
「不躾なお願いで…」
「うン?」
「祐介の兄さん、今夜は諦めてくれねェですか」
 西園寺はまじまじと少年を見た。拳をきっと握って、品のいいような目元を張っている。それなりの覚悟でそうしたことを言い出したに違いなかった。ふ、と、西園寺のなかに苛立ちが兆した。
「祐介がそう言ったのか」
「す、すりゃ…」
 ふいに気色の変わった様子に戸惑うように少年が後ずさった。
「祐介が俺に会いたくねェと言ったのか」
 この少年を怒鳴りつけても仕方がないとわかってはいたが、不意の怒りは抑制がきかなかった。西園寺は少年の肩をつかみ、
「旦那、子供のこってです、どうぞ勘弁なすって」
 聞き覚えのある声が響いた。泣きべそをかき始めた子供を押しのけ、ほとんど気づきもせずに廊下を走っていた。
「…祐介」
 抱きしめたからだはひどく細く、頼りなく、いまにも。西園寺は自分がほんとうに会いたかったのだと、飢えるように会いたかったのだと知った。言葉のあやに取り交わす遊びのような恋心などどこにもなかった。


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