終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年09月28日(金)

 水を打った路地に長く西日が射していた。ほとんど1年ぶりに尋ねた柳屋はまだ静かで、夕暮れのにぎわいの前にひといきついているようだった。
「あら旦那、ご無沙汰でござんすね」
 暖簾に手を伸ばしかけたところで、背後からかけられた声に、西園寺は振り返った。
「お梅じゃねェか」
「あいよ、お見忘れかと思いましたが、覚えててくださんしたね」
 肩の辺りを、気安く白い指が叩き、ふっくらした頬に首筋まではたいたおしろいを匂わせた三十路半ばの芸妓は、紅をつけた唇でにっこと笑ってみせた。器量はたいして良くないが、店でも茶をひいていることのない売れっ子なのは気っぷと愛嬌によるところが大きかった。
「あらァ、お座敷のご用って感じじゃありやせんねえ、旦那」
「あァ…」
 西園寺はやや言いよどみ、所在なく両手を袖に仕舞った。
「もしかしたら、祐介のことじゃァござんせんか」
 すっぱりと口火を切ったのは梅の方だった。ぐうの音もない顔を見て、梅は道具の入った風呂敷包みを持ち直して、ほ、と息をついた。
「旦那にはいろいろご恩もありやすして、教えてあげたいのはやまやまですけどねえ…。ふいと姿を消して、もうこの辺りでは噂も聞きませんのですわ」
「おめェの口利きでお店に上がったって聞いたが…」
「あたしの? そりゃァ勘違いでござんすよ」
 梅はふいに声を低めると、西園寺の袖を引いて路地の端へ寄った。
「あの子はねェ、もともとお店の女将が借金のカタにこき使ってたンですよゥ」
「借金ってなァ、あいつがかィ?」
「ああ、まどろっこしいねェ。あたしも良かァ知らねェけど、なんだか女郎だった姉さんが肺病ンでもなって長く寝付いて、そンであの女将が世話をしたンだっていうよ。姉さんはおっ死んだけど、その薬代が五十両だか百両だかかさんでるンだって言ってね。まァ夜も昼もなくあの子をこき使ってましたよ」
「へェ…」
「さァそんでも、あの子がいなくなってからも女将はとやかく言わなくってねェ。しわいお人が、金づるに逃げられたってのにグチも言わないのが妙で。ただまァ…」
 梅はちらととがめるような視線を西園寺に投げた。
「あンときはねェ、大変だったんですよ、女将の実の娘の梓坊が首をくくっちまって」
「梓が?」
 西園寺はぼんやりと、いつも座敷の隅で大人しくしていた影の薄い娘を思い出した。視線があっただけでもすっと奥へ引いてしまう、世慣れないふうな娘だったが、まさか首をくくるほど思い詰めていたとは思えなかった。
「へェ、なんですかねェ、ちょうど祐介のやつが出奔した晩に、裏の納屋で首ィくくっててねェ。まだ花も盛りだったてのにさァ…。くちさがないのは祐介が悪さでもしたんじゃないかって言ってましたけどねェ、あの子はそんなことしやしませんよ。ま、梓坊は書き置きを残してたからねェ、ご公儀も本気に取りゃしなかった」
「そうか、そりゃァ…」
「旦那、梓坊のこと、今の今まで知らなかったンで?」
「あァ、面目ねェ」
 梅はふいに気色ばって西園寺の袖を掴んだ。
「そんならねェ、ひとつお焼香でも上げてっておくれよ」
「なん…だァ、そらァ」
 驚きのあまり声を上げかけて、西園寺ははっと我に返った。柳屋ののれんがゆっくり開き、その間から。
 記憶にあるよりずっと老けた、女将の顔がのぞいた。その目はツウっと西園寺に向けられ。
「どうぞ、お立ち寄りくだせえまし」
 深々と、白髪頭が下げられた。


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