終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年08月12日(日)

白川静とアステカの本を併読していたら、ふと思い当たった。
アステカ(あるいはインカ、マヤ)における神の一柱に、
「翼ある蛇」というほどの名が残っている。
アステカでは「ケツァルコアトル」、マヤでは「ククルカン」。
権能としては風と雨を司り、一方で神話的な王の名でもある。
トルテカにおける大権力者で、豹を原型とする「煙った鏡」
すなわち「テスカトリポカ」との戦いに敗れ東の果てに去ったといわれる。
実は中国にも「翼のある蛇」にあたる怪物がいる。
怪物といったのは神とはされていないからだが、むろん神性を帯びている。
名を「騰蛇(とうだ)」という。

現実には羽毛を帯びた蛇はいない。おそらく過去にもいなかったはずだ。
西洋においてはかれらの龍たるドラゴンがコウモリの翼を得たが、
およそ羽毛などというものは併せられなかった。
中国と中南米というこのおよそ触れあうことの想定しがたい二つの文明に
同じひとつの幻想が生まれた理由はなんであろうか。
羽毛を持つ蛇という概念はどこに発するのだろうか。

ひとつには渦巻く雲だ。
あのうねりねじれた様子は蛇の蠢くようだし、
とらえどころのない質感はなるほど羽毛のようだ。
いずれも雨の権能に近いことからこれはあながち的はずれではないだろう。
もうひとつにはこれは純粋に記号論的な問題になる。
すなわち鳥トーテムと蛇トーテムの融合だ。
鳥なら中国では鳳であろうし、中南米ではその名もケツァルだろう。
蛇はいずれも蛇もしくは拡大形としての龍だ。
それらをトーテムとする部族の争いがあってやがて融和するとき
新たに生まれるトーテムもまた双方の権能と姿を兼ね備えることになる。



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