- 2007年06月25日(月) 遊び回り@覚え書き というわけで、日本三霊場のひとつ、恐山まで行ってきた。 以下、記録。 例によって早朝に下宿を出て、羽田へ。 7時25分の飛行機で青森空港へ。空港からバスで青森駅へ9時半着。 縄文最大の遺跡・三内丸山へ行こうとするとバス出たところという。 次善の策で朝食後、市街地の棟方志功記念館へ。約1キロを歩いていく。 棟方志功記念館(500円) 「わだばゴッホになる」−。 青森の産んだ世界的な版画家(彼流にいうならば板画家)、棟方志功。 その作品を集めた記念館だが「30点ほどをゆっくり見られる空間を」 という本人の希望で展示室はわずか2つ。規模は小さい。 春の展示と銘打って草花画が特集されていた。 常設展示には代表作「釈迦十大弟子」「神鷹鷹々図屏風」など。 「柵というのは四国の巡礼が寺々を巡られるとき、首に下げる、 寺々へおさめる廻り札、あの意味なのです。 この札は、自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で 下げるものですが、わたくしの願所に一ツ一ツ願掛けの印札を 納めていくということ、それがこの柵の本心なのです。 たいてい私の板画の題には柵というのがついていますけれど そういう意味なのです。一柵ずつ、一生の間、生涯の道標を一ツずつ そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく、柵を打っていく。 そういうことで柵というのを使っているのです。 この柵はどこまでも、どこまでもつづいていくことでしょう。 際々無限に」 見るのは初めてではないが、全面に押し寄せるような、 軽やかでしかも圧倒的な力感に、かれがゴッホを名指した理由を思う。 なにか巨大な力があって、それがかれを通して表出している。 「近くに飛行船が落ちたというので、それっといって見に行ったのです。 ところが途中で何の拍子か転びましてね。 それで、ふと顔を上げると、目の前に花が咲いているのです。 白い小さな花でした。美しかったなあ。 この美しさを我がものにせずばおくものか、 止めずにはおくものか、まあそう思いました。それには画家だろうと」 一輪の花がかれを捕らえ、かれはその花の美を捕らえることにした。 なんとシンプルで、しかも力強い。 「あまり写生を、わたくしは他人のモノにも、 自分のモノも信じておりません。 立派なモノをあらためて、生ませるから『絵』であるからと存じます」 「鯉を描くのではなく、絵の鯉を成さねば、ならぬというところに 化物が現れて来るので」 当人のこれらの言葉のほか、何をか言うべき。 たしかにそこには化物がいたし、それは考え込むに値した。 正午の列車に乗って、本州最北端の駅、下北駅に向かう。 車中ではほぼ爆睡。ときおり窓の外に海が光っていたのを覚えている。 下北駅でレンタカーを受け取り、尻屋崎へ向かう。 下北半島ではよく「まさかりに例えると〜にあたる」という言い方で 位置を示すが、そういう言い方をするならまさかりの柄の先にあたる岬だ。 尻屋崎 寒中を立ちつくす放牧の馬たち、「寒立馬」で有名だ。 車をとめて270度の海を眺め、振り返るといるいる。 今年の春に生まれたばかりの子馬を連れた群れが草をはんでいる。 ユリ科の黄色い花、ゼンテイカが青草に点々と咲く様子は美しい。 海を背にした馬群というのは、なにか郷愁を誘う風景だ。 余談であるが子馬に噛まれた。 ペンギンとカンガルーに噛まれたこともある。 …なんか味がするのか? さて、しかし尻屋崎はオマケなのだった。 こっち方面の目的地は尻屋崎よりやや南下した森の中。 ヒバの埋没林 千年ほどまえに埋没し立ち枯れたヒバ林が地表にあらわれている一帯だ。 なぜ埋没したのか、なぜあらわれたのかは解明されていない。 一説では太平洋から打ち寄せる大量の砂に飲まれたのではないかという。 実際、自衛隊の射撃場になっているためあまり知られないが 下北半島東岸には鳥取砂丘に匹敵する巨大な砂丘が延々とうねっているのだ。 このあたりに猿がいないにも関わらず「猿ケ森」というのは、 「森が去る」という意味ではないかとされている。 千年の枯木からは若い桜がひこばえし、緑の森は初夏にある。 灰色の死にまつわるツタアジサイが瑞々しく花咲く。 足元は白砂。ああもっとゆっくりしたかった…が時間はせまる。 白のヴィッツでとって返し、一路、恐山へ。 次日の項に続く。 -
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