- 2007年04月08日(日) ジョン・ディーコンの独白(フィクション): そうだ、僕だって最初から4オクターブの歌を書いていたわけじゃない。そんな歌は誰にでも歌えるってわけじゃないことくらい知っている。自分の歌をみすみすお蔵入りにしたいわけがないじゃないか。 でも僕らは10年も同じグループでやってきたのだし、それに彼は4オクターブの声を持っていたのだ。それなら、いま僕の作る歌がどれもこれも4オクターブの声を求めて泣き叫ぶようなシロモノであっても不思議はない。 僕らは必ずしも仲が良くはなかった。他の多くの一世を風靡したロック・グループとは違って解散しなかったのは、ただ僕らがいくらか幸運で、ただいくらかメンバーがクールだった、それだけのことだった。 さらに言うなら、僕ら4人はみんな好きな音楽を作っていたけれど、同じ方向を向いていたわけじゃない。ただ僕らは自分の興味のないものにも手を貸すにやぶさかでないくらいには大人だった。それだって、ときには喜んでというわけじゃなかったけれど、それぞれの分野でお互い以上、いや、肩を並べられる人間を見つけるさえ困難だとわかっていた。 話を戻そう。僕がいつまでも僕の歌に彼の声を待っているからといって、僕が彼を親友だと思っていたとか、あるいは好きだったなんて思わないでほしい。僕にとって彼はよくわからない男だったし、同僚という以上の親しみや欲求を感じさせる種類の相手でもなかった。もし同じグループにいたのでなければ、赤の他人以外のなににもならなかったことは確かだ。 しかしそれはこういうことでもある。僕と彼のあいだには音楽しかなかったが、僕と彼にとって音楽は魂そのものだった。自分自身よりも大切なものだった。そして僕らは音楽における同僚以上のなにものでもなかったが、実際のところはそれ以上のなにもありはしなかった。 僕らのグループのボーカルは彼だったから、ごく自然ななりゆきとして、僕は歌えない僕の声に代えて彼の声を、僕の声とした。僕は彼に対してあらゆる人格上の要求など考えついたこともなかったが、彼の声を必要とするその要求は、妻への求婚の際に胸に打っていた思いより小さくなかった。しかも僕はそんなことを考えたことはなかった。考える必要はなかったのだ。彼の声はごく自然に僕の声だったし、それはそれだけのことだったから。 そうしたことに気づいたのは彼が死んでしまってからだ。彼が死んでしまってからも、僕は4オクターブの歌を作り、お蔵入りにしている。しかし僕にどうすることができるだろう。僕の上に、僕の音楽の上に、彼は確かに刻印されており、そしてもう彼がどこにもいない今、それは深い傷だ。 僕には家族がいる。愛する妻と子供たちがいる。釣りの仲間がいる。彼以外のすべてがある。にもかかわらず僕には何もない。僕の魂が歌い出したすべての曲はこの世の空には響かない。ただ音符の連なりとして五線譜の上に書かれているだけだ。この歌を歌うべき声は死んでしまった。それで絶望するには十分だ。そして僕は絶望している。彼が死んでからずっと。 夢の中でさえ、僕の歌を歌っているのは彼の声だ。 「クイーン」のメンバー、ジョン・ディーコンは音痴だという。もっとも彼は天才的なベーシストで、クイーンのためにアナザワン・バイツァ・ダストを含む何曲かを作曲し、ゴールド・レコードを生産してもいる。だからまあ、彼が私とは異なる種類の音痴であることは間違いない。 しかしディーコンはクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの死後はほぼ完全に表舞台から退いた。ほかの2人が今もなおクイーンとして活動しているにも関わらず、「あの4人」でなければそれはクイーンではないという自分自身のスタンスを終始一貫して守り通している。 かれのいささかシンプルな性質からして、それは文字通り受け止めるべきだろう。フレディの声によるほかはクイーンたりえないという。かれは多分、ショウ・マスト・ゴー・オンとは歌わない種類の人間だ。かれは止めどきというものを知っていて、それに忠実なのだ。彼にとっては葛藤はなく、ただ自明な判断がある。おそらくはそれに加えるに鋭いまでの苦悩が。 フレディを、つまりクイーンを失ったと知ったとき、かれは永遠に歌を失ったのだ。かれの歌はもはや歌われることがない。 -
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