終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年03月07日(水)

寡聞にして美容整形というものをよく知らないが、

マイケル・ジャクソンほど自分の容姿を”脱ぎ捨てて”きたひともない。
固有の容姿そして彼の場合は黒人、そして種族としての経歴を示す肌色。
かれはもう黒人のようには見えないし、少年の頃のかれにも似ていない。
私は子供を見ればおおかた大人になったときの姿がわかる目の持ち主だが、
そうした平易な予測はもう、かれにはあてはまらない。

「チャイルドフッド」のショートフィルムを見ていて、
抜けるほど白い肌をさらし、白人の子供に自らを重ねる演出に
なにより歌より、彼自身の自画像をきわめて異様な違和感とともに感じた。
白人になりたかったのだろうか?なるほどそうかもしれない。
白人になりたい黒人はいくらもいる。だが白くなれる黒人はそうもいない。
そしてまた、よしんば白くなれたとして、その経過を、
まさに変容の過程を、その異様な変身を、執念めいた変身への願望を、
人の目に映像に刻みつけまた刻みつけ続けられるひとはそうはいまい。


たしかにこれはモンスターだ。


次にかれがたとえば天使になろうとしたなら、
その過程をぜひにこのように鮮明に残していってほしいものだ。
かれの背に翼が生え、風切り羽根を育てるその過程を。
そうとも肉の身の果実にすぎない精神がその親木をかくも変えうる!
その精神の異様さ、また激しさ、そして底知れぬとよみ。
このひとを見よと自らいう、その強さは確かに驚嘆に価する。

血にでもなく人種にでもなく歴史でもなく、
意志にのみこのアイデンティティを寄せようとする人間がここにいる。
自然という大岩から抜け出しかけている薄肉彫りの男を私は思う。
かれは確かにひとというより、怪物じみて見える。



試みに墓碑銘を刻んでみよう。
「かれほど自身の思い描く人間であったものはかつてなかった。
 にもかかわらず誰も彼をそのようには見なかった」と。
残酷に過ぎるだろうか? だがかれは気にするまい。


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