終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年03月01日(木)

 天幕の上で雨音が鳴っている。薄い駱駝の皮は重たく囁くようだ。
「ジンニーア」
 天幕の隙間から雨の砂漠を眺め渡していた熱風公は、声をあげて呼んだ。応えはないが気まぐれな妖精であればそれも不思議はなかった。彼女は問われたからといって応えるのではない、ただ気が向いたというだけのこと。
 熱風公はふと考え込む気配をおいて、笑って親指をひねくり、しばし言葉の長短と音韻に思いを巡らしてから歌い始めた。

「美にまさる美、花にまさる花、我が目の光
 煙に縁なき炎よりなり、曙光のもとになお色あせぬ夜の輝きよ
 予はただに短命の種族の貧しき一子に過ぎざれど
 親しく御身を知り、知りてさらに恋うるものなれば
 とく応えよ、とく応えたまえかし
 さなくばライラに対するカイスのごとく、
 哀れにも憔悴ののちに逃れ出で、しかる後に狂い果てん」

 詩句の途切れると同時、耐えかねたような笑い声が天井から落ちてきた。見上げれば薄青く燐光を放つ少女が中空に寝そべり、笑い転げている。公は片方の眉と唇の両端とを吊り上げて、そのさまを見上げた。
「熱風公、熱風公よ、そなたよくもそのように似合わぬことを言うたもの」
 少女は長い前髪をかきあげ、あどけなく笑ってとがめた。
「さあれ、御身がお応えにならぬゆえ」
「いらえを強いるな。それはわらわの流儀にあらぬ」
「さよう、しかればこそ歌にてお誘いもうした」
「うまくも申すわ」
 少女はさらりとゆらぎ、公の肩にはたりと左手をおいてその膝の上にすべりこんだ。とはいえその身はこの世のそれならず、公はわずかな重さも感じはしなかったが。そしてまた布地を通した形などというものも感じられず、ただ温度もない風が膝の上にあることのみ知られただけであったが。
「雨が降っている」
 少女が言った。公はただ形のみその肩に手を添えた。抱き寄せようにも、光と風よりなる華奢な精の扱いは常のそれとは異なる。
「降っておりますな」
「雨音が聞こえるか」
「さよう、この頭上に」
 暖かな、だが希薄な腕が首に絡んできた。公は目を閉じる。
「おまえに聞かせよう」
 ささやきは耳元に響き、そして心臓に及んだ。公は自身がこの妖精を恋うていることを知っている。生身の女を愛するようにではなく。その思いは余計に憧憬に似ており、だが肉欲に根を持たぬわけではない。
「雨が口を利き始めた日をわたしは覚えている、アル・シムーン。それはある男が屋根というものを作った日だった。粗末な草葉によって作られたもにに過ぎなかったが、そして雨の言葉もこれほどはっきりとは聞き取れなかったが、太陽と月と星々がその日、泣いたのだ。そしてあの天使さえ人間というものをその一事において許した。雨はその日から言葉を得て歌っている」
 間近にのぞきこめば、ジンニーアのうつくしい瞳は、わずかに青紫を帯びて金属の錆に似た虹色を浮かせている。またその奥の頭蓋にはゆるやかな薄青が濃淡に揺らめき幾重にも輝きを放つ貽貝の殻のようだ。だがその希薄な器を通しては我とわが膝が見えてもいた。公は微笑した。
「雨は屋根を得て言葉を得た。あなたはいかにして言葉を得られたのか」
「そのことについてはまだ話しておらなんだか」
「さよう、あなたが話してくださったのは星と月と雨についてのみ」
「それでも話しすぎたほどよ。よかろう。だが物語は長くなる。そなた、人の身でそのように時間を費やしてもよかろうかの?」
「明日と明後日とさらにその翌日までかかろうとなんら支障がありますものか。また生涯の残りを耳のみで過ごすことになろうとて」
「ようも言うたわ。では聞け、太陽のいまだ若かりしころの物語、人の世の語り部の伝うることいまだ多からざる時代の物語ぞ」
 そしてジンニーアは語り始めた。





あめ…。雨降れ…。雨が足りん…。

ジンニーアとアル・シムーン(熱風公)。
熱だして寝込んでる間に思い出した。
かれらは私のうちに長年すんでて、書かれるのを待っている。
待っているが、私はどうもうーん、二の足を踏んでいる。
なにより彼らの恋物語は、いささか理想化されすぎているようでなあ。
かといって、私とともに葬るのもいささか気の毒なのだが。


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