- 2007年01月11日(木) 何にでもなれるし、どこへでも行ける。 むろん、私は無人の荒野を行くわけではない。 私が「何」であるかというのは多くの場合、他者との関係性で決まる。 とおくへ行きたい。はっきりと肌合いの違う人々のうちに身を置きたい。 「ここ」にはもう耐えられない。私は疲れている。ひどく疲れている。 厳冬の原へ、砂漠の裡へ、灼熱の浜辺へ。 幸福も不幸もまた他者とのいかなる関係も求めることを知らない、 凶暴な魂が私のうちにあって、ただただ外へ出ようともがいている。 こうした情熱はいかにもタナトス、死への情熱と呼ばれよう。 性愛すなわちエロスとおおよそ縁なきは、なるほど、そのためでもあろう。 こうした苛立ちと外への熱をなだめうる人はいるだろうか。 過去にはいた。だがいずれにせよ私のうちの凶悪さが勝った。 わたしはかれを気の毒に思う。ひどく気の毒に思う。 どのような人生も人生である、それは間違いない。 人間のふりをしよう。わけてももうすぐ三十になる女のふりを。 もしも外見に内面が透けて見えたら、わたしは巨きな獣であろう。 巨きな獣であって、そしてどこにもいないだろう。 わけても「ここ」には。あらゆる「ここ」には。 -
|
|