終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年09月18日(月)

 俺の生涯とはなんだったのかと尋ねはしなかった。かれの歳月は無であった。それはかれが一番わかっていた。かれは望んで自らを無とし、ただ火のごとき死神となったのである。憤怒はかれのうちに凝って静止し憎悪は結ぼれて透き通り結晶していた。なんぴともこれを見られないほど確かに。
 だが屍が長江の流れに漂ううちに悲嘆はほどけ、歳月も解きえなかった怒りも苦渋も解けていった。そうしてそれらが解けてしまえば、もうなにもないのであった。かくして長い孤独な声音はようやく静かな終わりを迎えた。安き眠りを約する墓所も、祀るものたちの供華も祝詞なく。だがこの深い水底は、ほの暗い瞑暗の闇に続いていて、そこには全き安寧だけがあった。かれの髪を結んでいた細紐はほどけて水面に漂いのぼっていった。血に染んで紅い衣の袖と裾はゆらゆらと揺れたなびきつつかれとともに沈んでいった。
 かくのごとく伍子胥は死んだ。かつてかれの生国において名高い公子も洞庭湖に身を投げた。水に縁はあったのだろう。もっとも人々はかの公子を惜しんでその命日を年毎の節句としたが、祖国を破ったかれには碑もない。


伍子胥。かれはどうして私の上を去らないのだろう。
かれを評する司馬遷の声はあまりにも無情すぎる。
これほどかなしい人はない。

取り戻しえないものを恋うるひと。
後悔のうえに悔恨を、悔恨のうえに慚愧を重ねるひと。
血も火もかれを幸いにはしないのに、ただ自らの傷を深くして。
その憎悪がつきるときに死んだ。ほかに生き様も知らないとでもいうよう。


丘に上り蒼海をのぞむ
なんじ行き行きて重ねて行き行き、われらすでに生別す
御身いずこにありや、我が心千里を走れど見いださざる
悲傷し呼び叫ぶ我が言霊に行くところなし


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