- 2006年09月19日(火) わたしと伍子胥について少し述べよう。 出会ったのは古い高校の図書館だった。明治時代の創建になる府立高校は城に面して立ち、図書館からは暗い緑に沈む堀が見えた。カーテンは今にも一つづりの埃となって落ちてきそうで、人気は少なく黴の臭いがした。 新釈漢文体系、という大変に古い大きな全集が乗った棚があって、灰色の装丁に金文字の表題が光っていた。「史記」というのがその最も多い題で、手にとったのは列伝だった。開いた瞬間に視界を占めたのはおびただしい数の漢字の群れで、私の意識を占めたのは6文字。「門戸階陛左右」なんという単純素朴でしかも鋭い心象をもたらす言葉であったことか。壮麗な古代の館のそそり立つ門を、石造りの道と竜虎の刻まれた階段とを臨み見ることさえできた。そしてこの音なき文字の凛烈さ。確かにこれは言霊、それも万世を経てなお死なぬ霊だ。ここに知らないものがある、確かに新たな道が開けているという直感に、震えた。 さてこれほどまでに私を鋭く切り従えた6文字は刺客列伝のうち専諸の項にあった。専諸については後に譲る。ここでは伍子胥がかれを刺客として最期を遂げる道に導いたといえば足りる。その物語を読み終わって私は前の巻を探し、伍子胥に出会った。 かれの人生の概略とその人生に行き会った人々については前に書いた。(2003年2月8日参照)私はかれに出会い、いわばかれにつまづいた。こうした憎悪、こうした意志、こうした男につまずかずにいられるわけもない。私はかれについて考える。そしてかれについて考えることはかれのもとを訪れることだ。恋をおもうよりもしばしば、そして長きにわたって私はかれを訪れ、かれとともに語った。私が高校の制服を着なくなり、気ままな学生生活を経て社会というむき出しの場に出ても。かれとともに過ごした時は長い。これを欠いては私という人間を想定しえないほどである。 -
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